内藤清長墓所〔隣松寺〕
ないとうきよなが ぼしょ〔りんしょうじ〕(Grave of Kiyonaga Naito [in Rinsho-ji Temple])
【K-AC043】探訪日:2016/2/28
愛知県豊田市幸町隣松寺126
【MAP】
〔駐車場所〕
隣松寺境内に細川家三代墓所と並んで内藤清長の墓所がある。内藤清長は松平清康,広忠に仕えた武将であり、隣松寺の南西側に築城された上野下村城を居城とし、三河に攻め込んできた織田信秀軍を撃退している。その後、清長は安城に姫城を築き移ったとされる。三河一向一揆が起こると、清長は一向宗側に与し、姫城と隣の浄土真宗誓願寺を拠点として徳川家康軍と対峙したが、一向宗側は敗れ、清長は幸田の萩城にて蟄居処分とされ、1564(永禄7)年にその地で没している。清長の墓所は、自らが築いた姫城近くの誓願寺と生まれた上野近くの隣松寺に建てられた。
【史跡規模】
【指 定】【国 宝】 【国重文】
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