仁明天皇が、843(承和10)年に当地に配流され薨去した淳和天皇第三皇子の東山親王国長公(恒統親王)の追善のために創建したとされる。当初は天台宗であったが、明徳年間(1390~93年)に蓮蔵忠阿上人が浄土宗に改宗し、玉松山隣松寺として中興開山している。
隣松寺境内にある稲荷社は、松平広忠が1543(天文12)年、竹千代(のちの徳川家康)誕生にあたり成長の無事を祈願したと伝わる。徳川家康は三河一向一揆に際し稲荷社に戦勝祈願し、1564(永禄7)年の勝利後、寺の山号を「玉松山」から「稲荷山」に改め、自身の甲冑姿の木像と念持仏を奉納するとともに朱印地30石を寄進した。
文化財としては、愛知県指定文化財に絹本著色観経曼荼羅、豊田市指定文化財に本堂(1667年建立),木造徳川家康像,徳川氏朱印状,絹本著色阿弥陀二十五菩薩来迎図等があるが、絹本著色観経曼荼羅は2001(平成13)年に韓国人窃盗団によって金銭目的で盗まれている。
なお、境内には細川家三代墓所,内藤清長墓所,松平忠吉墓所がある。