松平忠吉墓所〔隣松寺〕
まつだいらただよし ぼしょ〔りんしょうじ〕(Grave of Tadayoshi Matsudaira [in Rinsho-ji Temple])
【K-AC044】探訪日:2016/2/28
愛知県豊田市幸町隣松寺126
【MAP】
〔駐車場所〕
1580(天正8)年、浜松城下に徳川家康の四男として生まれ、翌年、東条松平家第3代当主の松平家忠が病死したため、その家督を継いで三河東条城1万石を領した。家康が関東へ移封されると、1592(文禄元)年に武蔵忍城主となり10万石を与えられた。
1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いでは舅の井伊直政の後見の下、初陣を飾って福島正則と先陣を争い、手傷を負うも島津豊久を討ち取る(島津豊久墓所)などの功を挙げる。戦後、尾張および美濃に清洲52万石を与えられる。1604(慶長9)年、病に侵され一時危篤状態に陥るが投薬により蘇生する。しかし、1607(慶長12)年、江戸へ下向し家康,秀忠と面会した数日後の3月5日に死去、享年28。小笠原吉光ら4人が殉死した。正しい器量を備えた美男子で人望も厚く、天下の諸侯が忠吉のためには命も惜しくないとこぞってかしずいたという。
忠吉の墓所は東京都の増上寺,名古屋市の性高院にも建てられている。
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