誓願寺

せいがんじ(Seigan-ji Temple)

【T-AC116】探訪日:2020/11.13・2021/1.31

【T-AC116】誓願寺 愛知県安城市姫小川町姫149 <📲:0566-99-0724>

【MAP】

〔駐車場所〕参詣者用駐車場がある。

【T-AC116】誓願寺

   681(天武天皇10)年、薨去された孝徳天皇の皇女・綾姫(系図には表れない)の菩提を弔うため義峯大徳が開基となり創建されたと伝わる。
 649(大化5)年、いきさつは不明であるが、綾姫が当地に漂着され、里人に迎えられて宮を築いて住んだとという。姫は念持仏の聖観音菩薩を蓮華寺に安置し祀った。姫の死にあたり、蓮華寺を営んでいた義峯大徳は蓮華寺で葬儀を行い、豊玉姫神社の森と呼ばれるところに埋葬し、のちに御陵を築いた。姫塚古墳が比定されているが定かではない。そして、その菩提を弔うため小松山誓願寺が創建されたという。
 1466(応仁2)年、22世・了意上人は本願寺蓮如上人に弟子となり、これまでの天台宗から浄土真宗に転じて現在に至っている。また、応仁の乱世には内藤氏がこの地に根付き誓願寺に隣接して居館を築いた。誓願寺は堀や土塁を備えた城郭寺院となっていく。1563(永禄6)年の三河一向一揆では、内藤清長は主家の松平氏から離反して一揆側に与したため、一揆終結後に荻城に蟄居となり1564(永禄7)年に没した。なお、誓願寺は内藤氏の菩提寺ともなり、内藤重清,清長の墓所がある。
 また、39代・義鳳は寺子屋を開いて子弟の教育に尽力したが、1871(明治4)年の大浜騒動の法難に遭われた。
 城郭寺院の名残りとして西から北にかけてL字状の堀と土塁がみられるが、西側は明治時代に掘られたものである。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 飛鳥時代 戦国時代 明治時代
関連年号 649年・681年 1563年 1871年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
綾姫 K305 義峯大徳 **** 了意上人 ****
内藤清長 F910 義鳳 ****

 

【T-AC116】誓願寺

 

 

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堀跡の名残りがある