姫塚古墳
ひめつかこふん (Himetsuka-Kofun Tumulus)
【K-AC135】探訪日:2020/11/13
愛知県安城市姫小川町姫49
【MAP】
〔駐車場所〕
桜井古墳群を構成する古墳の一つで碧海台地端部に築かれ、古墳時代前期後半(4世紀後半)の築造と推定されている。かつては円墳とも考えられていたが、発掘調査によって南北28m,東西25m,高さ4mの方墳に復元されている。墳丘の西側から南側にかけて幅7.3m以上の周溝が発見されている。また、北西に古墳時代後期の墳墓とみられる姫地下坑がある。
姫塚古墳とその北に位置する獅子塚古墳には伝承が残されている(時代的に合わないため、あくまでも伝承)。645(大化元)年の乙巳の変の後に皇位についた孝徳天皇の皇女「綾姫」が、その後の政変などで乳母と共に都落ちし、この桜小川の地にたどり着いたというもの。乳母が亡くなり埋葬されたのが獅子塚古墳、綾姫が埋葬されたのが姫塚古墳とされている。墳頂の五輪塔に「姫宮墓 白鳳十辛巳年」と刻まれているが、近世に追刻された可能性が高いとされる。