五井松平氏墓所〔長泉寺〕
ごいまつだいらし ぼしょ (Graves of the Goi-Matsudaira Family[in Chosen-ji Temple])
【K-AC190】探訪日:2021/12/16
愛知県蒲郡市五井町岡海道76
【MAP】
〔駐車場所〕
長泉寺の墓地北側にある五井城の初代・松平忠景から2代・松平長勝(元心),3代・信長,4代・忠次,5代・景忠の墓所である。
1485(文明17)年頃、松平宗家3代・松平信光の7男・松平忠景が五井に侵攻し、五井松平氏の初代となった。1485(文明17)年7月14日死去。
2代・松平長勝(元心)は長泉寺を五井松平氏の菩提寺とした。また長勝は、松平長親の命により深溝城主・大場二郎左衛門景紀を攻め滅ぼしたが、弟の忠定の手柄として長親に上申し、深溝城を忠定に譲った(忠定は深溝松平家の祖となる)。1562(永禄5)年7月26日、82歳で死去。
3代・信長は1535(天文4)年に松平広忠が松平信定によって岡崎城を追われた際、自らの領地を捨てて広忠と伊勢国に逃れ、2年後に広忠が再び岡崎城主として復帰するまで忠勤に励んだ。1551(天文20)年6月18日、49歳で死去。
4代・忠次は、織田信秀の軍勢が三河に侵攻して安祥城を攻撃した際に救援し武功を挙げた。しかし、1547(天文16)年9月28日の松平信孝との渡の戦いで先鋒を承り、敵方の鳥居又次郎と戦って討ち死した。享年27。なお、又次郎と忠次は従父兄弟であり、討死の際に忠次が身につけていた青江の刀が父祖相伝のものと知っていたために、又次郎は五井松平家に送り返している。
5代・景忠は父・忠次が戦死した際は幼少であったが、松平広忠に家督継承を認めれた。1560(永禄3)年の桶狭間の戦いの際、丸根砦攻めで若年でありながら戦功を挙げ、松平元康(徳川家康)から褒美の金盃を賜った。1563(永禄6)年、三河一向一揆勢と矢作川で対陣した際にも元康の命を受けて一揆勢を退けた。以後、遠江進攻,姉川の戦い,三方ヶ原の戦いに参戦、長篠の戦いでは奥平信昌とともに長篠城を死守した。1593(文禄2)年6月3日、53歳で死去。