丸根砦跡〔桶狭間古戦場〕

まるねとりであと〔おけはざまこせんじょう〕 (Marune Fort Ruins[Historic Battlefield of Okehazama])

【C-AC029】探訪日:1988/4/24・2014/8/19・2021/3/11

【C-AC029】丸根砦跡 愛知県名古屋市緑区大高町丸根16

【MAP】

〔駐車場所〕

【C-AC029】丸根砦跡

   1559(永禄2)年、織田信長は今川方重臣の岡部元信が守る鳴海城を囲むように丹下砦,善照寺砦,中島砦の三つの砦を築き、さらに、今川方の鵜殿長照が守る大高城との連絡を絶つべく、大高側に丸根砦,鷲津砦を築いた。丸根砦の守将として佐久間盛重が置かれた。大高城の南側には正光寺砦,氷上砦,向山砦を築いたともされる(下図では省略)。
 1560(永禄3)年5月19日早朝、尾張に侵攻した今川義元軍先鋒隊は鷲津砦と丸根砦の攻撃を開始した。その報せを受けた信長は清洲城から出陣したが、熱田神宮に差し掛かったときには、すでに両砦は落とされていた。丸根砦の織田軍500人余りは砦外に討って出て白兵戦を展開しほぼ全滅、大将の佐久間盛重も討死した。このとき丸根砦を攻撃した今川方の武将は松平元康,石川家成,酒井忠次らの松平隊である。しかし、その日の桶狭間の戦いで義元は討ち死にし、丸根砦が再び使われることはなかった。
 場所は鷲津砦の東南400m、大高城からは東に約800mに位置し、鳴海から延びた丘陵の先端に築かれた東西36m,南北28mの砦の周囲を幅3.6mの外堀が囲んでいた。

【史跡規模】

【指 定】国指定史跡(1938年12月14日指定)
     大高城跡 附 根砦跡・鷲津砦跡として
【国 宝】
【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号 1559年・1560年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
織田信長 OD04 鵜殿長照 F515 佐久間盛重 H503
今川義元 G361 松平元康 TG01 石川家成 G393
酒井忠次 SK01

 

 

 

 

  

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▲頂部に建てられた「丸根砦戦殉難烈士之碑」

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▲砦頂部

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▲砦頂部

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▲城址碑

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▲砦からの大高城跡(中央遠方が大高城)

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▲すこしズーム

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▲さらにズーム

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