中島砦跡〔桶狭間古戦場〕
なかじまとりであと〔おけはざまこせんじょう〕 (Nakajima Fort Ruins[Historic Battlefield of Okehazama])
【C-AC084】探訪日:2014/9/21
愛知県名古屋市緑区鳴海町下中10
【MAP】
〔駐車場所〕
1559(永禄2)年、織田信長が今川方重臣の岡部元信が守る鳴海城を囲むように築いた三砦の一つ(丹下砦,善照寺砦,中島砦)。さらに大高城との連絡を絶つべく大高側に丸根砦,鷲津砦を築いた。中島砦は守将として梶川高秀が置かれた。
1560(永禄3)年5月19日、桶狭間の戦いでは今川軍に鷲津,丸根両砦を落とされると、信長はまず丹下砦へ入り、次に善照寺砦へ移った。そのとき義元は「おけはざま山」で休息しており、信長がさらに中島砦に移ろうとしたところ、脇は深田で一騎ずつしか通れない道で敵から丸見えなため家老衆が止めたが、信長は振り切って中島砦に移った。その時点で信長軍は2千足らずだったが、敵方は戦闘で疲れていると判断した信長は義元本隊に突撃し、ついに義元を討取った。
扇川と手越川の合流地点に位置し、一帯は宅地化されていて、個人宅の庭に「中島城址」の石碑が建てられている。