渡古戦場
わたりこせんじょう (Historic Battlefield of Watari)
【B-AC007】探訪日:2020/3/15
愛知県岡崎市渡町井領7-1
【MAP】
〔駐車場所〕
1547(天文16)年、松平清康の死後、三ツ木城主の松平信孝と織田信秀の連合軍が岡崎城主の松平広忠軍と渡河原で戦った。
1535(天文4)年に松平宗家7代の清康が守山崩れで没すると、8代広忠がまだ若年であることもあり、信孝は広忠の後見役を務めたが、岩津松平親長と信孝の弟康孝の領地を横領するなど次第に専横が目立つようになる。そこで、宗家の危機を感じた岡崎老臣衆は、信孝を広忠の代理で駿府の年頭参賀へ行かせた間に、信孝の知行,屋敷を占拠した。
これを不服とした信孝は、1547(天文16)年、上和田城主の松平忠倫,上野上村城主の酒井忠尚らと共に織田信秀と結び安城の山崎に城を築き、岡崎城を攻撃するために出陣。矢作川を渡って来た岡崎勢と渡河原で撃突した。
この地を領する鳥居忠宗(元忠の兄)の奮戦により、広忠の勝利に終わるが、忠宗は討死してしまう。渡城跡の西側に鳥居忠宗墓所がある。
実際の古戦場はもう少し南とみられるが、現在は諏訪神社の社殿の隣に古戦場碑が建てられている。
※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)
▲遠景
▲堤防の向こうは矢作川
▲諏訪神社
▲諏訪神社
▲神社北側の古戦場碑
▲
▲
▲
▲神社西側
▲「渡古戦場跡」説明板