小牧砦跡

こまきとりであと (Komaki Fort Ruins)

【C-AC471】探訪日:2021/11/17

【C-AC471】小牧砦跡 愛知県西尾市吉良町小牧郷後

【MAP】

〔駐車場所〕

   桶狭間の戦い後、今川氏から離れた松平元康は三河統一に着手し、1561(永禄4)年、吉良義昭の東条城攻略にかかる。小牧砦はその本陣として築き本多広孝を置いた。このほかに松井忠次(のちの松平康親)が守備した友国砦,津平砦、小笠原三九郎長玆を配した糟塚砦を築いた。
 同年4月15日、吉良義昭は善明堤での戦い深溝城の松平好景らを討ち(松平好景戦死の地)勝利する。9月13日、本多広孝,松井忠次は砦より出軍して東条城を目指し藤波畷に進んだ。本多広孝が先鋒で先駆けし、松井忠次の弟の松井光次が後詰めで進撃した。松平軍の出撃を知った吉良家の家老・富永忠元はいつもの如く先駆けしたが、単騎で突出して孤立し松平軍に藤波畷で追い詰められて奮戦するも広孝の家来・本多甚十郎によって討取られた(富永忠元一族討死の地)。頼みとした富永忠元を失った吉良義昭は戦意を失い、東条城を明け渡し降伏した。
 吉良義昭は1563~1564(永禄6~7)年の三河一向一揆の際にも再度、東条城へ入り一揆方の将として元康に背いたが、敗れて近江国へと逃れた。
 砦は現在の宝泉寺の南辺りとされるが、遺構は残されていない。なお、北東方向には小牧陣屋跡がある。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】

【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号 1561年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
松平元康 TG01 吉良義昭 G357 本多広孝 F504
富永忠元 OT15 本多甚十郎 F50*

 

【C-AC471】小牧砦跡
 

 

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▲宝泉寺

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▲宝泉寺から南方向を見る

【C-AC471】小牧砦跡

▲砦があった辺りとされる

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