糟塚砦跡

かすづかとりであと (Kasuzuka Fort Ruins)

【C-AC474】探訪日:2021/11/19

【C-AC474】糟塚砦跡 愛知県西尾市平原町城山

【MAP】

〔駐車場所〕

   築城年は定かではないが、幡豆小笠原家支流の小笠原三九郎長玆(宗忠,のちに吉次)の居城とされる。また、1561(永禄4)年の松平元康による吉良義昭の東条城攻めの際に、本多広孝の小牧砦,松井忠次(のちの松平康親)の友国砦,津平砦とともに築かれた砦ともいう(ただ、ここは他の3砦と比べ東条城からはかなり遠い)。
 小笠原吉次は、吉良義昭の後に東条城主となった松平家忠に仕え、さらに家忠の跡を継いだ松平忠吉(徳川家康4男)が尾張国清洲城主となると、家康の命でその付家老となり、犬山に所領を与えられた。このとき、吉次は犬山城を近世城郭にまで成長させ城下町も整備した。
 砦跡は宅地造成で遺構は失われており、現在は小高い丘の上に民家が建っている。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】

【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号 1561年

関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
小笠原長玆(宗忠,吉次) G46* 松平元康 TG01 吉良義昭 G357

松井忠次(松平康親)

G212

本多広孝

F504

松平家忠

MT33
松平忠吉 MT33

 

【C-AC474】糟塚砦跡
 

 

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▲左(西)に用水路が流れる

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▲用水路の西側

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▲砦を分断する用水路

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