津平砦跡

つのひらとりであと (Tsunohira Fort Ruins)

【C-AC473】探訪日:2021/11/19

【C-AC473】津平砦跡 愛知県西尾市吉良町津平

【MAP】

〔駐車場所〕

   桶狭間の戦い後、今川氏から離れた松平元康は三河統一に着手し、1561(永禄4)年、吉良義昭の東条城攻略にかかる。津平砦はそのために築かれた砦の一つで、友国砦とともに松井左近忠次(のちの松平康親)が守備した。このほか、小牧砦を本陣として本多広孝を置き、糟塚砦には小笠原三九郎長玆が配された。
 同年4月15日、吉良義昭は善明堤での戦い深溝城の松平好景らを討ち(松平好景戦死の地)勝利する。9月13日、本多広孝,松井忠次は砦より出軍して東条城を目指し藤波畷に進んだ。本多広孝が先鋒で先駆けし、松井忠次の弟の松井光次が後詰めで進撃した。松平軍の出撃を知った吉良家の家老・富永忠元はいつもの如く先駆けしたが、単騎で突出して孤立し松平軍に藤波畷で追い詰められ奮戦するも広孝の家来・本多甚十郎によって討取られた(富永忠元一族討死の地)。頼みとした富永忠元を失った吉良義昭は戦意を失い、東条城を明け渡し降伏した。
 吉良義昭は1563~1564(永禄6~7)年の三河一向一揆の際にも再度、東条城へ入り一揆方の将として元康に背いたが、敗れて近江国へと逃れた。
 現在、砦跡は土砂採取のために削られ、茶畑,柿畑など畑地に整地されており、砦の範囲も不明確であり遺構も残されていない。近くの高台に西尾市立津平小学校があるが、同程度の高さの丘陵であった可能性もある。南西方向に友国砦跡を望むことができる。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】

【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号 1561年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
松平元康 TG01 吉良義昭 G357 松井忠次(松平康親) G212
富永忠元 OT15

 

【C-AC473】津平砦跡
 

 

【C-AC473】津平砦跡

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【C-AC473】津平砦跡

▲西からの遠景

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▲丘陵だったことが想像できる

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▲中央の林が友国砦跡辺り