足助城(真弓山城)跡

あすけじょう(まゆみやまじょう)あと (Asuke[Mayumiyama] Castle Ruins)

【C-AC053】探訪日:2014/3/16

【C-AC053】足助城跡 愛知県豊田市足助町須沢39

【MAP】

〔駐車場所〕

【C-AC053】足助城跡

   築城年代は定かではないが、足助鈴木氏の始祖となる鈴木忠親によって築かれ、重政,重直,信重,康重と5代続いた鈴木氏の本城であったと考えられている(足助七屋敷の1つではない)。西に位置する鎌倉時代から足助氏が居住した飯盛城を支城としていた。1525(大永5)年に松平清康がこの城を攻めた記録が残り、この際に清康の妹・於久を2代鈴木重政の嫡子・重直に嫁すことで一旦は松平氏に降ったが、清康が守山崩れで死去すると再び離反する。その後も離反帰服を繰り返し、1564(永禄7)年に松平家康に攻められたのちは完全に服属し、以降は松平氏の家臣団として高天神城の戦いなどで武功を挙げた。1571(元亀2)年には武田信玄の西三河侵攻により足助城は落城し、城主の鈴木重直は岡崎へ逃れた。これにより一時的に武田方の持城となったが、信玄が病没すると徳川家康の軍勢が武田氏の軍勢を追い払い、再び鈴木重直が城主となった。
 1590(天正18)年、家康の関東移封に従って鈴木氏も足助を離れ、足助城は廃城となる。最後の城主となった鈴木康重は間もなく家康から離れ、浪人したと伝えられている。なお、鈴木氏は香積寺を菩提寺とし、香積寺から飯盛山頂へ向かう途中に足助鈴木氏5代の墓所がある。
 足助城は、標高301mの真弓山山頂を本丸として、四方に張り出した尾根を利用した連郭式の山城である。現在は、高櫓,長屋,物見矢倉,厨などの建物が復元され、足助の古い町並みを一望することができる。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】

関連時代 戦国時代 安土桃山時代
関連年号 1525年・1564年・1571年

1590年

関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
鈴木忠親 SZ03 鈴木重政 SZ03 鈴木重直 SZ03
鈴木信重 SZ03 鈴木康重 SZ03 松平清康 MT01
松平於久 MT01 松平家康 TG01 武田信玄 G433

 

【C-AC053】足助城跡
  

 

【C-AC053】足助城跡

 

<足助七城>

七城(七屋敷) 築城者・主な城主

足助鈴木氏時代の
足助七城

 

※真弓山城にこの時代の遺構が発見されず、下記範疇とされる

飯盛城 足助重秀・足助重朝・足助重方・足助頼方・足助貞親・足助重範・足助重政
真弓山城 鈴木忠親・鈴木重政・鈴木重直・鈴木信重・鈴木康重
黍生城 足助重長
城山城 (不明)
臼木ヶ峰城 中條全満
成瀬城 鈴木重次・鈴木重成・鈴木正三
大観音城 (不明)

 

戦国時代の
足助七城

真弓山城 鈴木忠親・鈴木重政・鈴木重直・鈴木信重・鈴木康重
浅谷城 簗瀬九郎左衛門
円山城(御蔵城) 鈴木高国・円山義清・鈴木高教・深谷金正
八桑城 鈴木甚五左衛門
安代城 原田源左衛門・原田種則
大沼城 木村安信・木村信元・松平近清・松平近正
田代城 森外記・松平主税(道久?)・松平甚五左衛門

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【C-AC053】足助城跡

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▲南の丸腰曲輪2

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▲井戸跡

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▲西の丸腰曲輪1

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▲西の丸

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▲西物見台

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▲南の丸

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▲南の丸と後方の南物見台

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▲厨内

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▲厨内

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▲南物見台

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▲本丸から見た南物見台

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▲本丸

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▲本丸から見た西の丸方面

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▲北腰曲輪1

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▲北腰曲輪1

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