黍生城跡
きびゅうじょうあと (Kibyu Castle Ruins)
【C-AC049】探訪日:2014/3/16
愛知県豊田市近岡町西キビュウ
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年代は定かではないが、治承年間(1176~80年)に尾張国山田荘から来住した山田重長によって築かれたとされる。重長は足助氏を称し、源為朝の娘を娶り、1180(治承4)年の美濃国墨俣の戦いで源行家に加担して平重衡と戦い、長兄である尾張の山田重満とともに討死した。
足助氏は2代の重秀のときに飯盛城を築いて居城とし重秀-重朝-重方-頼方-貞親-重範-重政と続いた。
黍生城は足助川の北岸にある標高375m,比高240mの黍生山の山頂に築かれた単郭の城で北東から南西に長い主郭をもつ。南下に一段削平地があり、主郭の北下と主郭から南西に伸びた尾根から南へ伸びた所に堀切が見られる。足助七屋敷の一つである。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 平安時代:後期 |
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関連年号 | 1176~80年・1180年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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足助重長 | G605 | 源 為朝 | G201 | 源 行家 | G201 |
平 重衡 | H107 | 山田重満 | G604 | 足助重秀 | G605 |
<足助七城>
七城(七屋敷) | 築城者・主な城主 | |
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足助鈴木氏時代の
※真弓山城にこの時代の遺構が発見されず、下記範疇とされる |
飯盛城 | 足助重秀・足助重朝・足助重方・足助頼方・足助貞親・足助重範・足助重政 |
(真弓山城)※ | 鈴木忠親・鈴木重政・鈴木重直・鈴木信重・鈴木康重 | |
黍生城 | 足助重長 | |
城山城 | (不明) | |
臼木ヶ峰城 | 中條全満 | |
成瀬城 | 鈴木重次・鈴木重成・鈴木正三 | |
大観音城 | (不明) | |
戦国時代の |
真弓山城 | 鈴木忠親・鈴木重政・鈴木重直・鈴木信重・鈴木康重 |
浅谷城 | 簗瀬九郎左衛門 | |
円山城(御蔵城) | 鈴木高国・円山義清・鈴木高教・深谷金正 | |
八桑城 | 鈴木甚五左衛門 | |
安代城 | 原田源左衛門・原田種則 | |
大沼城 | 木村安信・木村信元・松平近清・松平近正 | |
田代城 | 森外記・松平主税(道久?)・松平甚五左衛門 |
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▲登山道
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▲主郭
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▲主郭
▲主郭
▲眺望
▲眺望
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