飯盛城跡
いいもりじょうあと (Iimori Castle Ruins)
【C-AC051】探訪日:2014/3/16・2021/6/11
愛知県豊田市足助町飯盛
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年代は定かではないが、鎌倉時代初期に標高251m,比高130mの飯盛山山頂に足助重秀によって築かれたとされる。重秀は黍生城を築いた足助重長の子である。その後、重秀-重朝-重方-頼方-貞親と続き、7代重範は、1331(元弘1/元徳3)年の元弘の乱の際、後醍醐天皇の要請に応じて笠置山で奮戦するが落城の際に捕らわれ、翌年京都六条河原で斬首された。その後、8代重政の時には足助を去ったとされる。足助氏は少なくとも1357(正平12/延文2)年までは足助に在住したとされ、1427(応永34)年には足助氏の居館跡に香積寺が建立されている。15世紀後期、鈴木忠親が足助城を築くと飯盛城も支城として機能したが、1571(元亀2)年の武田信玄の三河侵攻で落城した。1590(天正18)年の徳川家康関東移封とともに廃城になったと考えられる。
山頂の主郭は東西に長く、東西両下に一段の削平地がある。足助七屋敷の一つである。また、香積寺から登る遊歩道沿いには装束塚,成瀬一族墓所や足助鈴木氏5代の墓所などがある。
【史跡規模】 |
【指 定】愛知県指定史跡(1961年3月30日指定) |
関連時代 | 鎌倉時代 | 南北朝時代 | 室町時代 |
戦国時代 |
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関連年号 | 1331年 | 1357年 | 1427年 | 1571年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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足助重秀 | G605 | 足助重朝 | G605 | 足助重方 | G605 |
足助頼方 | G605 | 足助貞親 | G605 | 足助重範 | G605 |
鈴木忠親 | SZ03 | 武田信玄 | G433 |
<足助七城>
七城(七屋敷) | 築城者・主な城主 | |
---|---|---|
足助鈴木氏時代の
※真弓山城にこの時代の遺構が発見されず、下記範疇とされる |
飯盛城 | 足助重秀・足助重朝・足助重方・足助頼方・足助貞親・足助重範・足助重政 |
(真弓山城)※ | 鈴木忠親・鈴木重政・鈴木重直・鈴木信重・鈴木康重 | |
黍生城 | 足助重長 | |
城山城 | (不明) | |
臼木ヶ峰城 | 中條全満 | |
成瀬城 | 鈴木重次・鈴木重成・鈴木正三 | |
大観音城 | (不明) | |
戦国時代の |
真弓山城 | 鈴木忠親・鈴木重政・鈴木重直・鈴木信重・鈴木康重 |
浅谷城 | 簗瀬九郎左衛門 | |
円山城(御蔵城) | 鈴木高国・円山義清・鈴木高教・深谷金正 | |
八桑城 | 鈴木甚五左衛門 | |
安代城 | 原田源左衛門・原田種則 | |
大沼城 | 木村安信・木村信元・松平近清・松平近正 | |
田代城 | 森外記・松平主税(道久?)・松平甚五左衛門 |
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▲香積寺
▲香積寺の左手より飯盛山頂へ
▲飯盛山登り口
▲鈴木氏5代の墓
▲装束塚
▲豊栄稲荷
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▲山頂へ
▲二の曲輪と後方の主曲輪
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▲二の曲輪
▲二の曲輪の切岸
▲主曲輪への階段から見た二の曲輪
▲主曲輪へ
▲主曲輪から見た二の曲輪
▲主曲輪
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▲主曲輪
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▲主曲輪
▲主曲輪からの眺望
▲主曲輪から見た三の曲輪
▲三の曲輪
▲三の曲輪
▲三の曲輪
▲三の曲輪側から見た主曲輪
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▲主曲輪の切岸
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▲二の曲輪(2014年3月撮影)
▲二の曲輪(2014年3月撮影)
▲主曲輪への階段(2014年3月撮影)
▲主曲輪(2014年3月撮影)
▲主曲輪からの眺望(2014年3月撮影)
▲主曲輪からの眺望(2014年3月撮影)