F332:広橋兼宣 | 藤原真夏 ― 日野資業 ― 日野実綱 ― 日野有信 ― 日野資長 ― 広橋頼資 ― 広橋兼宣 ― 広橋総光 | F333:広橋総光 |
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広橋伊光 | 広橋光成 |
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准大臣。広橋家23代当主。22代当主・広橋勝胤の子として誕生。 |
京都で誕生。寛政10年(1798年)2歳で従五位下、享和2年(1802年)元服し従五位上。文政7年(1824年)参議、文政11年(1828年)権中納言、弘化2年(1845年)正二位・権大納言と昇進を重ねる。 |
広橋胤保 | 広橋賢光 |
1859年(安政6年)、参議兼左大弁。のち正二位権大納言。祐宮(のちの明治天皇)の習字師範でもある。1863年(文久3年)、議奏となって公武合体に務めたため、王政復古で参朝を止められた。1876年(明治9年)11月14日死去。
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山城国京都で権大納言・広橋胤保の第三子として生まれる。父の死去に伴い1876年(明治9年)12月5日、家督を相続。1884年(明治17年)7月7日、伯爵を叙爵した。 |
広橋真光 | |
明治35年(1902年)、伯爵・広橋賢光の嫡男として誕生。明治43年(1910年)、襲爵。大正15年(1926年)に東京帝国大学を卒業し、翌年内務省に入省する。この年の12月2日、梨本宮家から規子女王が降嫁する。昭和15年(1940年)、近衛文麿首相の元で内閣総理大臣秘書官を務め、次の東條内閣でも留まった。 |