小田原古城:小峯御鐘ノ台大堀切東堀

おだわらこじょう:こみねおかねのだい おおほりきり ひがしぼり
(Early Odawara Castle : Komine Okanenodai Large-Scale Trenches East Moat)

【C-KN001c】探訪日:2023/4.30

【C-KN001c】小田原古城跡:小峯御鐘ノ台大堀切東堀 神奈川県小田原市城山3丁目30-27

【MAP】

 

〔駐車場所〕

   構築年は定かではないが、北条氏康によって西の箱根方面と本丸のある八幡山丘陵の尾根を分断するように築かれた国内最大規模の空堀である。1561(永禄4)年の上杉謙信,1569(永禄12)年の武田信玄の来攻で二の丸付近まで攻め込まれたことを受け、三の丸の大改修整備が進められたが、その際に構築された空堀である。1590(天正18)年に完成する総構には、このとき構築された中堀(現在は道路),西堀とともに内側の堀切として取り込まれ、3本の空堀が複雑に三重に並んでいる。
 東堀は幅が約20~30m、深さは土塁の頂上から12~15mで傾斜角は50~60度という急勾配で、かつ滑りやすい関東ローム層のため外敵の侵入はほぼ不可能であった。発掘調査では、堀には堀障子や土橋状の堀り残し部分のほか、横矢折れなどが設けられていたことが確認されている。
 1590(天正18)年4月の豊臣秀吉軍21万による小田原征伐では、北条氏政らは圧倒的な不利の中で3ヶ月の籠城に耐えたが、7月5日、降伏,開城した。その後、関東移封となった徳川家康は1614(慶長19)年、総構の大部分を撤去している。
 現在、東堀は南端~北端まで約220mが遊歩道として公開されている。

【史跡規模】

【指 定】国指定史跡(1938年8月8日/1977年5月4日指定)

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 戦国時代 江戸時代:前期
関連年号 1561年・1569年・1590年 1614年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
北条氏康 H145 上杉謙信 F450 武田信玄 G433
豊臣秀吉 ZZ01 北条氏政 H145 徳川家康 TG01

 

【C-KN001c】小田原古城跡:小峯御鐘ノ台大堀切東堀
 

 

【C-KN001c】小田原古城跡:小峯御鐘ノ台大堀切東堀

 

中世小田原城(小田原城古絵図に加筆)

【関連遺構(八幡山古郭・総構)】

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東堀南端入り口 前方が東堀北端 途中にある横矢掛り 横矢掛り 横矢掛りから空堀を見る 横矢掛りから空堀を見る 空堀を上り土塁へ(城山公園内から見る) 土塁 土塁 土塁 土塁 土塁から空堀を見る 土塁から空堀を見る 中堀切側から見る 小峯御鐘ノ台中堀切