小田原古城:総構 山ノ神堀切

おだわらこじょう:そうがまえ やまのかみほりきり(Early Odawara Castle : The Outer Citadel-Yamanokami Moat)

【C-KN001g】探訪日:2023/4.30

【C-KN001g】小田原古城跡:総構山ノ神堀切 神奈川県小田原市緑4丁目

【MAP】

 

〔駐車場所〕

   1587(天正15)年の大普請に続き、1589(天正17)年、後北条氏は大動員をかけて、1590(天正18)年までには小田原城とその城下を囲って築いた総距離9Kmに及ぶ大規模な堀と土塁による総構を構築した。1590(天正18)年4月、豊臣秀吉は21万の軍をもって、北条軍3.4万を包囲した。北条軍は圧倒的な不利の中で3ヶ月の籠城に耐えたが、7月5日、北条氏政,氏照と宿老の松田憲秀,大道寺政繁の切腹をもって降伏,開城となる。ただ、大規模な軍事衝突は起こっていない。また、関東移封となった徳川家康は1614(慶長19)年、壮大な総構の大部分を撤去している。
 山ノ神堀切は小田原城の北側を守る重要な堀で、谷津丘陵上の通行を制約するために構築された。北側は小峯御鐘ノ台大堀切西堀と同様に高低差をもって総構堀と連結し、南側の百姓曲輪の西堀と連携して、御前曲輪を区画する役割も担っている。発掘調査は行われておらず、現状よりもさらに深い堀である可能性もある。

【史跡規模】

【指 定】国指定史跡(2008年7月28日指定)

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 戦国時代 江戸時代:前期
関連年号 1587年・1589年・1590年 1614年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
豊臣秀吉 ZZ01 北条氏政 H145 北条氏照 H145
松田憲秀 F953 大道寺政繁 F082 徳川家康 TG01

 

【C-KN001g】小田原古城跡:総構山ノ神堀切
 

 

【C-KN001g】小田原古城跡:総構山ノ神堀切

 

中世小田原城(小田原城古絵図に加筆)

【関連遺構(八幡山古郭・総構)】

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山ノ神堀切西堀 山ノ神堀切西堀 山ノ神堀切西堀 山ノ神堀切西堀 山ノ神堀切の北側の総構 山ノ神堀切の北側の総構 山ノ神堀切の北側の総構