立信寺
りっしんじ(Risshin-ji Temple)
【T-AC093】探訪日:2023/4.17・4.21
愛知県豊川市長沢町金山48
【MAP】
〔駐車場所〕 立信寺の横に駐車スペースがある。
1272(文永2)年夏、深草円空立信上人が京都から関東への旅の途中に長沢村石塚辺りで由緒ある阿弥陀如来像に出会い、安置する御堂を建て供養したのが始まりとされる。200年後の1470(文明2)年頃、その旧跡を訪れた本宿法蔵寺2代目住職の暢光照雲上人が荒廃した御堂を嘆き、現在の長沢山金山の高台に阿弥陀如来像と御堂を移して、寺として改築し立信寺と称したと伝わる。『法蔵寺歴代記』では暢光照雲上人を立信寺の開基としている。
本尊の阿弥陀如来像は恵心僧都(源信)作とされ、一時、相国寺内の慈照院の内仏とされたが、1744(延享元)年に法蔵寺に移され、1761(宝暦11)年に立信寺に授与された。さらにその後、立信寺本堂改築の際、法蔵寺に移され、新たに法蔵寺の阿弥陀如来像と交換されたという。
参道は国道1号線で分断されており、参道入口は県道374号(旧東海道)沿いにある。また、立信寺の庫裏は、南東にあった巨勢陣屋の一部を移築したものだという。2011(平成23)年には近くの慶忠院を吸収合併している。慶忠院跡には、登屋ヶ根城主の関口刑部の墓と伝えられている五輪塔が残されている。
また、立信寺の西下には大滝城跡がある。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 鎌倉時代 | 室町時代 | 江戸時代:中期 |
関連年号 | 1272年 | 1470年 | 1761年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
深草円空立信上人 | **** | 暢光照雲上人 | **** | 恵心僧都(源信) | **** |