大滝城跡
おおたきじょうあと(Otaki Castle Ruins)
【C-AC584】探訪日:2023/4.17
愛知県豊川市長沢町関屋
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年は定かではないが、文安年間(1444~49年)頃、長沢一帯を領していた関口刑部少輔満興が居城したとされる。城主には戸田弾正政光の名もある。1550(天文17)年、関口政興は今川氏に仕え、織田との三河小豆坂の戦いにおいて戦傷し、その傷がもとで同年9月に大滝城にて死去した。その子・氏録は1560(永禄3)年の桶狭間の戦いで戦死し、翌年には東三河に進出した松平元康勢の攻撃で城は焼失した。なお、氏録の跡を継いだ関口氏興(親永,氏広,義広)は、徳川家康の室となった築山殿の父である。
城は標高84mの丘陵裾に築かれ、現在の立信寺の南方下、名鉄名古屋本線の線路の辺りとされる。若干の石積みがみられるが遺構かどうかは不明。なお、城跡から国道1号線を挟んで200mほどのところに関口刑部が建立した関口観音堂に在った菩薩像のみが残されている。