登屋ヶ根城跡

とやがねじょうあと (Toyagane Castle Ruins)

【C-AC057】探訪日:2014/5.1・2023/4.17

【C-AC057】登屋ヶ根城跡 愛知県豊川市長沢町番場

【MAP】

〔駐車場所〕

【C-AC057】登屋ヶ根城跡

   築城年代は定かではないが、鎌倉幕府の命令で讃岐から移って来た番場太郎致由により永仁年間(1293~98年)に築かれたとされる。また、城跡北東麓の慶忠院跡に関口刑部の墓と伝わる小さな五輪塔が残っているため、関口氏の居城ともされる。関口氏は今川氏の庶流で経国から6代の教兼まで三河国宝飯郡関口を分国治領地とした(地名の関口は、長沢村西端の関屋を通る古道の入り口に関所を置いたことに因む)。
 しかし、桶狭間の戦いで今川義元が討たれると、1561(永禄4)年、三河平定に乗り出した松平元康の松平信一勢が攻め寄せ、城代の糟谷善兵衛,小原藤五郎が防戦するも落城。なお、このときが徳川四天王の一人となる本多平八郎忠勝の初陣と伝わる。
 城は北の上谷下川と南の小沢川に挟まれた標高100m,比高15mの丘陵袖に築かれ、現在は畑地,山林となっているが、曲輪,横堀,土橋,土塁が残されている。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 鎌倉時代 戦国時代
関連年号 1293~98年

1561年

関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
番場致由 **** 関口経国 G364 関口教兼 G364
松平信一 MT36 糟谷善兵衛 **** 小原藤五郎 ****
本多忠勝 F526

 

【C-AC057】登屋ヶ根城跡
  

 

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登屋ヶ根城縄張図(『愛知県中世城館跡調査報告』に加筆)

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空堀(主郭北東) 主郭東へ上る 主郭 主郭 空堀(主郭南東) 北東部から主郭へ上る 主郭北東部から見た空堀 主郭 主郭 主郭