寺伝では、701(大宝元)年に行基が観音菩薩像を安置し出生寺を創建したとある。空海の来訪により法相宗から真言宗となる。1385(至徳2)年、教空龍芸により浄土宗に改宗し二村山法蔵寺と改称した。
その後、1441(嘉吉元)年に徳川家の始祖とされる松平親氏が伽藍を建立して松平家の菩提寺とした。徳川家康の竹千代時代には、時の住持の教翁洞恵上人(家康の伯父)に就いて読書きを習ったとされ、竹千代の使用した硯箱,硯石,手本,机などが残されている。
1826(文政9)年にはシーボルトが参拝したという記録もある。
伽藍は、本堂,山門,鐘楼門,六角堂そして一段高いところに東照宮が建てられている。
また、門前には御草紙掛けの松、境内には新撰組の局長であった近藤勇の首塚とされるもの、松平家御廟所と三方ヶ原合戦忠死者の墓がある。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 飛鳥時代 | 南北朝時代 | 室町時代 | 戦国時代 |
関連年号 | 701年 | 1385年 | 1441年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
行基 |
**** | 空海 | **** | 教空龍芸 | **** |
松平親氏 | MT01 | 徳川家康(竹千代) | TG01 | 教翁洞恵 | MT01 |
シーボルト |
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▲山門
▲鐘楼門
▲境内案内図
▲本堂
▲鐘楼門
▲本堂
▲本堂
▲本堂
▲六角堂
▲六角堂
▲東照宮
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▲近藤勇首塚
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▲松平家御廟所と三方ヶ原合戦忠死者の墓
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