瀬戸城跡
せとじょうあと (Seto Castle Ruins)
【C-AC449】探訪日:2021/9/23
愛知県瀬戸市東古瀬戸町
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年は定かではないが、戦国時代には加藤光泰の居城であったとされる。父の加藤景泰とともに父子で織田信長に仕えた。1556(弘治2)年の織田信長と弟・信行との家督争いから発展した稲生原の戦いでは信長方に与し、一色山城主の磯村左近清玉らとともに、今村へ逃げ込んできた信行方の今村城主・林吉之丞と狩宿城主・林信勝らを迎え撃った(桜川合戦)。
信長の死後は豊臣秀吉に仕え、山崎合戦での功績から1583(天正11)年に遠江国高島城主、1590(天正18)年には甲斐国甲府城主となっている。1595(文禄4)年の朝鮮出兵にて彼地で死去した。
城は、南に拝戸川,北に古瀬戸川が天然の堀となる丘陵上に存在していたと伝えられ、城構えは東西約117m,南北約144mであったとされる。現在は宅地,児童遊園,雑木林となっており、遺構は残されていない。その北東には馬ヶ城跡がある。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1556年・1583年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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加藤光泰 | F832 | 加藤景泰 | F826 | 織田信長 | OD04 |
林 吉之丞 | OC07 | 林 信勝 | OC07 |
県道212号線沿い(瀬戸城跡南側)から丘陵上を目指したが、気づくと瀬戸城跡は先ほど訪れた馬ヶ城貯水池入口のすぐ近くであった(馬ヶ城貯水池入口から南へ100mほど)。同時に訪れればよかったと後悔。なお、城跡からは遠く霞んではいたが名古屋駅近辺の高層ビル群も望むことができた。
※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)
▲遠景(正面の丘陵上が城跡)
▲県道212号線沿いからの登り口のひとつ
▲丘陵上
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▲東古瀬戸児童遊園
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▲遊園地の後方(北側)へ入る
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▲東端
▲眺望(古瀬戸小学校方面)
▲眺望(遠方に名古屋市内)
▲北側
▲北側(この先は馬ヶ城貯水池入口となる)