一色山(水野)城跡

いっしきやま(みずの)じょうあと (Isshikiyama[Mizuno] Castle Ruins)

【C-AC443】探訪日:2021/9/10

【C-AC443】一色山城跡 愛知県瀬戸市曽野町

【MAP】

〔駐車場所〕車は「定光寺 ほたるの里」の看板のところに停めさせていただき、400mほど歩く。

【C-AC443】一色山城跡

   水野城,五万石城とも呼ばれた。築城年は定かではないが、鎌倉時代初期に水野高康・有高親子,大金太郎重高(1214年に品野城を築いている)らの居城であったとされる。1221(承久3)年の承久の乱の際、水野高康,有高,高重らは一族郎党を率いて尾張国山田庄小幡城主の山田重忠に従って美濃国の墨俣を護り、木曽川,宇治川,奥嵯峨に転戦したが、有高は戦死し一族は離散して水野高康,基家は尾張国を去ったという(基家の曽孫・水野良春は南北朝時代に南朝に仕えて軍功を挙げ、志段味に帰って志段味城を築いたのち新居を開拓している)。
 戦国時代には、織田信秀,信長の家臣・磯村左近清玉は廃城となっていた一色山城を改修して居城としたが、天文年間(1532~54年)に品野城の松平家重らの軍勢と勝負ヶ沢で戦い、戦死したと伝えられている。
 城は街道沿いの標高240mの頂に築かれ、現在は山林となり曲輪,虎口,堀,土橋が残る。北からⅠ,Ⅱ,Ⅲと曲輪が並び、各曲輪の南には枡形虎口が設けられ、ⅠとⅡの曲輪間には土橋が架かり、両脇には堀跡がみられる。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】

【国重文】

関連時代 鎌倉時代 戦国時代
関連年号 1221年 1532~54年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
水野高康 H302 水野有高 H302 大金重高 ****
水野基家 H302 磯村清玉 **** 松平家重 MT31

 

【C-AC443】一色山城跡
 ネット情報(城郭写真記録)を参考に登り口を見つけ、あとは比較的歩きやすい尾根を進むと、情報通り切岸が現れる。雑木林ではあるが、曲輪の広さを実感できる。

 

【C-AC443】一色山城跡

【C-AC443】一色山城跡 ※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)

【C-AC443】一色山城跡

▲県道207号の途中(40㎞標識手前)から入山

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▲低くなった擁壁から入りやすい

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▲入山後、左に進む(左下は県道207号)

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▲登城道は比較的歩きやすい

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▲最初に出会う切岸を登る

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▲Ⅰの曲輪

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▲Ⅰの曲輪

【C-AC443】一色山城跡

▲Ⅰの曲輪

【C-AC443】一色山城跡

▲Ⅰの曲輪

【C-AC443】一色山城跡

▲Ⅰの曲輪

【C-AC443】一色山城跡

▲Ⅰの曲輪の切岸

【C-AC443】一色山城跡

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▲Ⅰの曲輪とⅡの曲輪の間の土橋

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▲土橋と堀跡

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▲土塁?

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▲Ⅱの曲輪

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▲Ⅱの曲輪

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▲Ⅱの曲輪

【C-AC443】一色山城跡

▲Ⅲの曲輪

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▲腰曲輪

【C-AC443】一色山城跡

▲腰曲輪

【C-AC443】一色山城跡

▲腰曲輪

【C-AC443】一色山城跡

▲腰曲輪

【C-AC443】一色山城跡

▲腰曲輪