小幡城跡
おばたじょうあと (Obata Castle Ruins)
【C-AC116】探訪日:2016/4/2・2020/7/16
愛知県名古屋市守山区西城2丁目16
【MAP】
〔駐車場所〕
1522(大永2)年、織田伊勢守家の織田信安の家臣岡田重篤によって築かれたとされる。重篤はその後、星崎城を築き移っている。
1535(天文4)年、岡崎城主松平清康が尾張に侵攻した際にこの城へ入ったが、守山城で家臣の阿部弥七郎正豊に背後から惨殺されるという守山崩れが起きる。その後、織田信光が城主となる。1555(弘治元)年、織田信長と信光が清洲城の織田信友を滅ぼし、信長が那古野城から清州城へ移ると、入れ替わりに信光が那古野城へ入ったが、家臣の坂井孫八郎に殺害されてしまい、子の信成が小幡城主となるがやがて廃城となる。
1584(天正12)年の小牧長久手の戦いの際には、徳川家康は三河との連絡路を保つためにこの城を修築し、本多豊後守広孝,菅沼新八郎、そして本戦において比良城,小牧山城の普請に携わった松平家忠らに守備させた。羽柴方の「三河中入」の別働隊を追撃する徳川・織田連合軍は小牧山城を出てここで軍議を行っている。小牧長久手の戦い後、秀吉により火を放たれ再び廃城となった。
城の規模は東西約200m,南北約70mとされ、現在は本丸跡とされる高台辺り(駐車場)に歴史看板が立つのみである。道(堀跡)を挟んで東に位置する阿彌陀寺は三の丸跡とされる。