比良城跡
ひらじょうあと(Hira Castle Ruins)
【C-AC136】探訪日:2016/5.15
愛知県名古屋市西区比良3丁目501
【MAP】
〔駐車場所〕
天文年間(1532~55年)に佐々成宗によって築かれた。北は庄内川に臨み、清洲城前衛の要衝であり、東西75m,南北80mの規模であったとされる。成宗の5男が佐々成政で、14歳から織田信長に仕え、1560(永禄3)年に比良城主となる。黒母衣衆の筆頭として活躍し、1575(天正3)年、越前国府中の小丸城に移ったことで廃城となった。
『信長公記』首巻には次のような逸話がある。「小城では比良城ほど良い城はない」と聞いていた織田信長が、近くの蛇池に大蛇が棲むという噂の真偽を確かめに赴いた際に、比良城も見物しようとした。比良城では佐々氏家老の井口太郎左衛門が信長を暗殺しようと計画したが、結局信長は寄らず清洲城に直帰したため、窮地を免れたという。
成政はその後、1582(天正10)年には越中国の守護となり、1587(天正15)年には九州平定の論功行賞で肥後国主となるが、国内一揆の平定に失敗し、翌年秀吉の命で自害することになる。
比良城は現在の光通寺一帯と伝わり、境内墓所奥に「佐々成政城址」の石碑が立つ。
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▲光通寺
▲光通寺
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▲光通寺本堂
▲城址碑
▲城址碑と佐々成政の墓
▲城址碑