志段味城跡A
しだみじょうあとA (Shidami Castle Ruins A)
【C-AC407】探訪日:2021/6/1
愛知県名古屋市守山区中志段味野添
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年代は定かではないが、1331(元弘3)年の元弘の乱において吉野金峯山寺僧兵団の将として戦っていた水野又太郎良春が、建武年間(1334~36年)に帰郷し築いた城とされる。この水野氏は桓武平氏の流れを汲む瀬戸水野村を本拠としていた一族である。1336(建武3)年には再び吉野に入り北朝方と戦いを繰り広げたが、やがて再度帰郷し志段味の山林,原野を開拓した。良春は1361(正平16/康安1)年に志段味城を一族に任せて南下し、新居の地を開拓し移っている(子孫が新居城を築城)。
最後の志段味城主は水野作右衛門といい、福島正則に属したがこの地で亡くなったとも、1600(慶長5)年、正則が安芸国広島へ転封となると、作右衛門は浪人となり子孫は帰農したとも、あるいは共に安芸国へ赴いたことで志段味城は廃城になったともいわれる。
志段味城の位置については、複数の候補地が挙げられており定かではない(あるいは複数あったのか)。ここは通称「しろあと」と呼ばれる中志段味野添地区で庄内川支流の野添川の南の平坦地である。
このほか、1792(寛政4)年の村絵図に城跡と記載のある上志段味羽根地区(志段味城跡B)、地元で庄屋を務めた家系に「ニノ輪の山上に城があった」と伝承される上志段味ニノ輪地区(志段味城跡C)、中志段味の「天白・元屋敷遺跡」地区などがある。なお、どの地区も土地開発が進み、遺構は残されていない。