今村城跡
いまむらじょうあと (Imamura Castle Ruins)
【C-AC417】探訪日:2021/7/18
愛知県瀬戸市共栄通5丁目66
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年代は定かではないが、寛正年間(1460~66年)に松原広長によって築かれた。1445(文安2)年頃、松原下総守一学が三河国碧海郡の今村城から尾張国山田庄の飽津村(赤津村)に移住し、広長は1463(寛正4)年に一学から下総守を世襲された。1473(文明5)年には修築を行い、今村八王子神社の神祠を建てたとされる。広長は神社創建時に、その神宮寺として八王子大明神,薬師如来を勧請し医王山八王寺を開創したとされる(今日の慶昌院の草創)。
1482(文明14)年、品野の桑下城主・長江利景との間に大槇山の戦いが起こり、広長は安戸坂で敗死した(殿死洞)。自害した広長の首を祀る松原塚が万徳寺に残されている。なお、2人の息子の忠兵衛と忠右衛門は廃城後に帰農している。
城の規模は東西90m,南北108mで、四方に幅9mの一重の堀を巡らせ、南側のみ二重の堀とし、土塁の高さは6mであったことが推定されている。2013(平成25)年の発掘調査で南面二重堀のうち、内堀の一部が確認されている。現在は、神社北西端に外堀の一部が池として残されている。また、井戸跡(お鶴井戸)も残されている。