<天孫系>
A002:伊弉諾尊 | 天之御中主尊 ― 伊弉諾尊 ― 天照大御神 | A101:天照大御神 |
リンク | A102 ・ A105 ・ A107 ・ A109 ・ A231 ・ A321 ・K001 |
天忍穂耳尊 | 瓊瓊杵尊 | 火照命 |
---|---|---|
正式には正勝吾勝々速日という称辞を冠している。天照大神と素戔嗚尊との誓約で、アマテラスの御統の玉から生まれた長子。玉は皇位継承の象徴。オシホミミのオシは威圧的なの意の美称でホミミは稲穂の神霊の意。天孫降臨神話の中で,高天原直系神は稲にちなむ名をもつのが多い。葦原中国平定の際、天降って中つ国を治めるようアマテラスから命令されるが、下界は物騒だとして途中で引き返す。タケミカヅチらによって大国主から国譲りがされ、再びオシホミミに降臨の命が下るが、オシホミミはその間に生まれた息子のニニギに行かせるようにと進言し、ニニギが天下ることとなった(天孫降臨)。 |
天照大御神の命令を受けた建御雷神と天鳥船神が大国主から国譲りを受けて葦原中国の統治権を確保する。その後に天照大御神の命により、ニニギノミコトは葦原中国を統治するため高天原から地上に降りたという(天孫降臨)。『古事記』では、この降臨の地については「竺紫の日向の高千穂の久士布流多気に天降りまさしめき」と記述している。『日本書紀』では、「日向襲之高千穗峯」あるいは「筑紫日向高千穗」と記述している。この降臨の経路の解釈ついては、日向国の高千穂峰に降り吾田国(現在の南さつま市)の長屋の笠狭碕に到達したとする説のほか諸説ある。 |
瓊々杵尊に国津神の子ではないかと疑われ、木花開耶姫がその疑いを晴らすために火中で生んだ三神の第二子であり、火が盛んに燃え立つときに生まれたので「ホスセリ」と名附けられた。に国津神の子ではないかと疑われた木花之佐久夜毘売がその疑いを晴らすために火中で生んだ三神の長子で、火がさかんに燃えて照り輝いている時に生まれたので火照命と名附けたとする。 |
火須勢理命 | 火遠理命 | 彦五瀬命 |
瓊々杵尊と木花開耶姫の子であるが、一夜で身蘢ったために国津神の子ではないかと疑われ、木花開耶姫がその疑いを晴らすために火中で生んだ三神の第二子であり、火が盛んに燃え立つときに生まれたので「ホスセリ」と名附けられた。 |
『古事記』によると、と木花之佐久夜毘売との三男。瓊々杵尊に「自分の子ではない」と疑われ、佐久夜毘売がその疑いを晴らすために産屋に火をかけて、その火の中で生んだ三人の子の末で、火が消えかけた時に生まれたので火遠理命と名付けたとする。『日本書紀』では主に彦火火出見尊と呼ばれている。 |
弟たちとともに東征に従軍したが、浪速国の白肩津(あるいは孔舎衛坂)での長髄彦との交戦中に長髄彦の放った矢に当たった。彦五瀬命は「我々は日の神の御子だから、日に向かって(東に向かって)戦うのは良くない。廻り込んで日を背にして(西に向かって)戦おう」と助言し一行は南へ廻り込んだ。 |
稲飯命 | 三毛入野命 | 活津彦根命 |
『日本書紀』では、稲飯命は神武東征に従うが、熊野に進んで行くときに暴風に遭い、「我が先祖は天神、母は海神であるのに、どうして我を陸に苦しめ、また海に苦しめるのか」と言って剣を抜いて海に入って行き、「鋤持の神」になったとする。 |
『日本書紀』神武即位前紀では、兄弟とともに神武東征に従うが熊野に進んで行くときに暴風に遭い、「母も叔母も海神であるのに、どうして我々は波によって進軍を阻まれなければならないのか」と言って、波頭を踏み常世に行ったとしている。 |
誓約によって生まれた五男三女の男神で、天照大神が左手に巻いていた玉から生まれたとされる。この神の後裔氏族は見当たらないが、『新撰姓氏録』に高魂命の子の伊久魂命の後裔として恩智神社の神主が載っている。滋賀県の彦根の地名はこの神の名に起こるという説もある。 |
熊野久須毘命 | ||
誓約の段において、素戔嗚尊が天照大神の持ち物である八尺勾玉を譲り受けて化生させた五柱の神の一柱で、天照大神の物実から生まれたので天照大神の子であると宣言された。 |