<天神系>

A101:天照大御神  天照大御神 ― 饒速日命 A231:饒速日命

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饒速日命 宇摩志麻遅命 欝色謎命

『古事記』では、神武天皇の神武東征において大和地方の豪族である長髄彦が奉じる神として登場する。長髄彦の妹の登美夜須毘売(日本書紀では三炊屋媛)を妻とした。イワレビコ(後の神武天皇)が東征し、それに抵抗した長髄彦が敗れた後、イワレビコがアマテラスの子孫であることを知り、イワレビコのもとに下った。
  『日本書紀』などの記述によれば、神武東征に先立ち、アマテラスから十種の神宝を授かり天磐船に乗って河内国の河上の地に天降り、その後大和国に移ったとされている。これらは、ニニギの天孫降臨説話とは別系統の説話と考えられる。また、有力な氏族、特に祭祀を司どる物部氏の祖神とされていること、神武天皇より先に大和に鎮座していることが神話に明記されていることなど、饒速日命の存在には多くの重要な問題が含まれている。大和地方に神武天皇の前に出雲系の王権が存在したことを示すとする説や、大和地方に存在した何らかの勢力と物部氏に結びつきがあったとする説などもある。
  『先代旧事本紀』では、「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊」といいアメノオシホミミの子でニニギの兄である天火明命と同一の神であるとしている。
  『新撰姓氏録』ではニギハヤヒは天神(高天原出身、皇統ではない)、天火明命は天孫(天照大神の系)とし両者を別とする。

物部氏,穂積氏らの祖とされる人物。『日本書紀』では可美真手命と『古事記』では宇摩志麻遅命、『先代旧事本紀』では味間見命と表記する。饒速日命が長髄彦の妹である三炊屋媛を娶って生んだ子で、天香山命(尾張氏の祖)が異母兄であるとする伝えがある。
  『古事記』によれば、始め長髄彦に従っていたが、神武天皇の東征に際して長髄彦を殺し天皇に帰服し、以後自らの部族である物部を率いて皇城守護の任に当たったという。また『旧事本紀』によれば、神武天皇即位の後、饒速日命の遺した10種の天璽瑞宝を献上し、それを使って天皇と皇后の魂を鎮める呪術を行ったとされ、これを後世の鎮魂祭の初めとしている。
  物部神社の社伝によれば、美濃国,越国を平定した後に石見国で没し、現在の社殿の裏に埋葬されたという。越国の平定は、異母兄の天香山命の事績として知られる。これら物部神社や彌彦神社では、宮中でも行われる鎮魂祭が行われていることでも知られる。

 孝元天皇7年2月2日(紀元前208年3月20日)、皇后に立てられた。開化天皇元年1月4日(紀元前157年2月11日)、皇太后となった。
伊香色謎命 大水口宿禰

 孝元天皇妃。開化天皇皇后。崇神天皇の母。孝元7年2月2日、天皇の妃として彦太忍信命(武内宿禰の祖父)を生んだとあり、開化6年1月、皇后となり、御間城入彦五十瓊殖天皇を生んだとある。開化天皇は庶母と結婚したことになる。
  崇神天皇即位前紀に、天皇の母を伊香色謎命といい、物部氏の遠祖・大綜麻杵の娘であるとみえる。
古事記にも同様な記載があるが、名は伊迦賀色許売という表記である。
  『旧』天孫本紀は、大綜麻杵大臣の子で、母は高屋阿波良姫といい、崇神天皇の時代に皇太后の尊号を、垂仁天皇の時代に太皇太后の尊号を贈られたという。

系譜に関して『日本書紀』『古事記』に記載はない。『新撰姓氏録』では、伊香賀色雄の子とも饒速日命の六世孫とも伝える。一方、『先代旧事本紀』「天孫本紀」では出石心大臣命(饒速日尊三世孫)の子と記され、系譜に異同がある。

 

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