<天孫系>

A101:天照大御神  天照大御神 ― 火明命 A102:火明命

リンク A103・MO01・TM01・TM04
火明命 田裳見宿禰

『日本書紀』によれば、天火明命はアメノオシホミミと高木神の娘ヨロヅハタトヨアキツシヒメとの間に生まれている。ニニギは弟だが、『日本書紀』の一書では子としている。また『先代旧事本紀』では、穂積臣、物部連の祖である饒速日命と同一神としている。一方、『播磨国風土記』はオホナムチの子とする。
  名前からわかるように太陽の光や熱を神格化した神である。また、『古事記伝』では「ホアカリ」は「穂赤熟」で、稲穂が熟して赤らむ意味としており、稲に関係のある名前でもあり、太陽神、農業神として信仰されている。このようなことから天穂日命の系譜、つまり天津神系の出雲神を源流としていることが伺える。
  『新撰姓氏録』では、天火明命の子孫を「天孫族」としている。天孫族は大和国葛城の高尾張から尾張国に移り、子の天香山命の時に定住し、真清田神社(愛知県一宮市)に天火明命を祀ったとしている。尾張氏・津守氏 ・ 海部氏など多くの氏族の祖神であり、穂積氏、物部氏の祖であるニギハヤヒと同一ともいわれる。

『古事記』に記載はない。
  『日本書紀』神功皇后摂政前紀仲哀天皇9年12月14日条によると、皇后が新羅征討から帰還した際、征討に従った表筒男・中筒男・底筒男の三神(住吉三神/筒男三神)が皇后に三神の荒魂を穴門の山田邑に祀るよう告げた。そして田裳見宿禰と践立(ほんたち:穴門直祖)が神の欲する地を定めるべきことを皇后に言上したので、皇后は践立を神主として祠を穴門の山田邑に立てたという(山口県下関市の住吉神社に比定)。
  『住吉大社神代記』(平安時代前期頃の成立か)では、折羽足尼の子とし、神功皇后の御裳を搓み鎮懐石を御裳腰に挿して祈誓した功で名を賜ったとする[2]。また住吉三神が「渟中椋(ぬなくら)の長岡の玉出峡(たまでのお)」に住むことを欲したので、皇后はその地に住んでいた手搓足尼を神主として祀らせたという(大阪府大阪市の住吉大社)。
  田裳見宿禰について、『日本書紀』では津守連(津守氏)の祖とする。この「津守」という氏の名は住吉津を守ったことによるもので、津守氏は住吉大社の祭祀を代々担った氏族になる。

 

トップへ戻る