『日本書紀』によれば、天火明命はアメノオシホミミと高木神の娘ヨロヅハタトヨアキツシヒメとの間に生まれている。ニニギは弟だが、『日本書紀』の一書では子としている。また『先代旧事本紀』では、穂積臣,物部連の祖である饒速日命と同一神としている。一方、『播磨国風土記』はオホナムチの子とする。 名前からわかるように太陽の光や熱を神格化した神である。また、『古事記伝』では「ホアカリ」は「穂赤熟」で、稲穂が熟して赤らむ意味としており、稲に関係のある名前でもあり、太陽神,農業神として信仰されている。このようなことから天穂日命の系譜、つまり天津神系の出雲神を源流としていることが伺える。
『新撰姓氏録』では、天火明命の子孫を「天孫族」としている。天孫族は大和国葛城の高尾張から尾張国に移り、子の天香山命の時に定住し、真清田神社(愛知県一宮市)に天火明命を祀ったとしている。尾張氏・津守氏・海部氏など多くの氏族の祖神であり、穂積氏,物部氏の祖であるニギハヤヒと同一ともいわれる。
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『古事記』『日本書紀』によれば、神武天皇とその軍は東征中、熊野で熊または悪神の毒気により倒れた。しかし、高倉下が剣をもたらすと覚醒したという。高倉下がこの剣を入手した経緯は次のようなものである。高倉下の夢の中で、天照大御神と高木神が、葦原中国が騒がしいので建御雷神を遣わそうとしたところ、建御雷神は「自分がいかなくとも国を平定した剣があるのでそれを降せばよい」と述べ、高倉下に「この剣を高倉下の倉に落とし入れることにしよう。お前は朝目覚めたら、天津神の御子に献上しろ」と言った。そこで高倉下が目覚めて倉を調べたところ、本当に倉の中に剣が置いてあったため、それを献上したのである。この剣は佐士布都神といい、甕布都神とも布都御魂ともいい、石上神宮に祀られている。 |