A101:天照大御神 | 天照大御神 ― 天穂日命 | A105:天穂日命 |
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天穂日命 | 武夷鳥命 |
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天照大神とスサノオが誓約をしたときに生まれた五男三女神の一柱。天照大神の右のみずらに巻いた勾玉から成った。物実(物事のタネとなるもの)の持ち主である天照大神の第二子とされ、アメノオシホミミの弟神にあたる。葦原中国平定のために出雲の大国主神の元に遣わされたが、大国主神を説得するうちに心服して地上に住み着き、3年間高天原に戻らなかった。その後、出雲にイザナミを祭る神魂神社を建て、子の建比良鳥命は出雲国造らの祖神となったとされる。 |
出雲国造,无邪志国造,上菟上国造,下菟上国造,伊自牟国造,津島県直,遠江国造等の祖神であると記されている。『出雲国造神賀詞』には、「天夷鳥命に布都怒志命を副へて天降し」という一節がある。 |
野見宿禰 | |
天穂日命の14世の子孫であると伝えられる出雲国の勇士で、第12代の出雲国造である鵜濡渟(宇迦都久怒)の子。またの名を襲髄命という。垂仁天皇の命により当麻蹴速と角力(相撲)をとるために出雲国より召喚され、蹴速と互いに蹴り合った末にその腰を踏み折って勝ち、蹴速が持っていた大和国当麻の地を与えられるとともに、以後、垂仁天皇に仕えた。また、垂仁天皇の皇后・日葉酢媛命の葬儀の時、それまで行われていた殉死の風習に代わる埴輪の制を案出し、土師臣の姓を与えられ、そのために後裔氏族である土師氏は代々天皇の葬儀を司ることとなった。第13代の出雲国造・襲髄命はこの野見宿禰のことである。播磨国の立野で病により死亡し、その地で埋葬された。 |