A105:天穂日命 | 天穂日命 ― 土師身臣 | HJ01:土師身臣 |
リンク | SW01・OE01・IS01 |
土師身臣 | 秋篠安人 |
---|---|
『尊卑分脈』によれば、野見宿禰の3世孫であり、仁徳天皇の御代に土師連となって供奉したという。
|
もともと土師宿禰姓であったが、同族の古人らが天応元年(781年)本拠地の地名に因んで、菅原宿禰に改姓したことと同様に、翌天応2年(782年)に安人も改姓を願い出て、本拠地の地名に因み、併せて兄弟6人が秋篠宿禰姓を賜与された。改姓理由として、土師氏は埴輪を発明した野見宿禰の子孫として、専ら凶儀である葬送儀礼に携わってきたが、この状態は不本意であることを挙げている。延暦9年(790年)には朝臣姓を賜与されている。 |
土師娑婆猪手 | |
氏姓は土師連、のち土師娑婆連。土師磐村の子。冠位は大仁。推古天皇11年(603年)に征新羅大将軍であった来目皇子の葬儀を周防国で行っている。周防国佐波に来目皇子の殯宮を造ったことから、娑婆連姓を名乗るようになった。 |