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池田忠継 | 池田忠雄 |
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慶長4年(1599年)2月18日、伏見で生まれる。徳川家康の外孫にあたるため、岡山藩を領した小早川秀秋が無嗣断絶により改易されると、慶長8年(1603年)に、わずか5歳で備前岡山28万石に封じられた。異母兄の利隆が執政代行として岡山城に入り、忠継は父の姫路城に留まった。 |
慶長7年(1602年)10月28日、姫路城で生まれる。慶長13年(1608年)、7歳で元服する。徳川家康の外孫に当たることから慶長15年(1610年)、9歳で淡路洲本城に6万石の所領を与えられたが、父の姫路城に留まり、重臣が政務にあたった。 |
池田光仲 | 池田清定 |
寛永7年(1630年)6月18日、岡山藩主・池田忠雄の長男として岡山藩江戸藩邸で生まれる。母は徳島藩主・蜂須賀至鎮の娘・三保姫。 |
因幡若桜藩(鳥取西館新田藩)の初代藩主。天和3年(1683年)7月1日、因幡鳥取藩の初代藩主・池田光仲の5男として鳥取城で生まれる。元服時に、父の跡を継いで第2代藩主となっていた長兄の池田綱清から偏諱の授与を受けて清定と名乗る。元禄13年(1700年)5月25日に綱清が隠居したとき、1万5000石を分与されて若桜藩を立藩した。元禄14年(1701年)12月18日、従五位下・河内守に叙位・任官する。宝永6年(1709年)4月11日に松平姓を許された。 |
池田定賢 | 池田定常 |
元禄13年(1700年)7月16日、初代藩主・池田清定の兄に当たる鹿奴藩の初代藩主・池田仲澄の4男として鳥取で生まれる。同年12月、生後5か月の時に家老・池田知定(下池池田家)の養子となった。享保2年(1717年)に元服したが、享保3年(1718年)に叔父の清定が死去すると、その養子として家督を継ぐこととなり、松平姓を称した。12月18日に従五位下・近江守に叙位・任官する。 |
松平冠山と呼ばれることもある。1000石の旗本・池田政勝の次男として誕生した。安永2年(1773年)、先代の若桜藩主・池田定得が嗣子無くして病死し、定得は遺言として、旗本の池田政勝の子・定常を跡継ぎに指名していたため、それに従って定常が家督を継ぐこととなった。 |
池田徳定 | |
因幡若桜藩(鳥取西館新田藩)の最後の藩主、華族(子爵)。嘉永元年(1848年)11月25日、第8代藩主・池田清直の兄・池田仲諟の次男として生まれる。文久2年(1862年)に兄で第9代藩主の清緝が死去したため、その養子として家督を継ぎ、徳風と改名する。のち、さらに徳定と改名した。「徳」の字は、義父でもある本家の鳥取藩主・池田慶徳からの偏諱、「定」の字は7代藩主・定保まで用いられていた通字である。 |