姥ヶ懐砦跡

うばがふところとりであと (Ubagafutokoro Fort Ruins)

【C-AC259】探訪日:2019/4/20・2019/5/3

 愛知県新城市乗本姥ガ懐

【MAP】

〔駐車場所〕

   1575(天正3)年5月の武田勝頼による三河侵攻の際に、長篠城を包囲,監視するために使用した乗本五砦の一つ。他の砦と比較すると低地であり、軍馬,駄馬の係留や兵糧,その他資材の備蓄の場所であったともいわれている。三枝勘解由守友を大将として、弟の三枝守義,守光、浪人組頭の草苅隼人助,宍戸大膳ら350騎,足軽100人が守備していた。
 5月20日夜に行われた織田信長本陣での軍議で組織された酒井忠次率いる別働隊により、翌日の夜明けには鳶ヶ巣山砦はじめ、支砦の中山砦,久間山砦,君ヶ伏床砦とともに後方より奇襲を受けた。
 姥ヶ懐砦では、三枝勘解由守友,三枝守義の兄弟らが中心に奮戦したが、ここで壮絶な討死を遂げている。同所に三枝兄弟の墓所がある。
 なお、戦死した三枝守友の父虎吉と嫡子の守吉は、武田家滅亡後、徳川家康に仕えている。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号 1575年
関連人物 系図 関連人物  系図  関連人物 系図
三枝守友 **** 三枝守義 **** 三枝守光 ****
草苅隼人助 **** 宍戸大膳 F*** 酒井忠次 SK01
三枝虎吉 **** 三枝守吉 ****

 


 「三枝兄弟墓」の標柱の辺りで作業をしていた地元の方々に場所を教えてはもらったが、イノシシ侵入防止柵があったため、いつの間にか柵に沿って反対方向に歩いてしまい、先ほどの方々が遠くのほうから、そっちではないよと叫ぶ声が聞こえた。防止柵のカギを開けて入ればよいとのことだった。ほどなく、三枝兄弟の墓所は見つけたものの、ここが砦とは思えずさらに奥へと進むと行き止まりだったため、いつものごとく道なき斜面を登って行った。鳶ヶ巣山砦,中山砦,久間山砦を訪れた後だったため、山の頂上に砦があると想像していたからだ。山頂に平坦地(茶畑)は見つけたものの、結果的には三枝兄弟墓所があるところが砦跡であった。

 

 

酒井忠次別動隊による乗本5砦の奇襲(1575年5月21日朝)

【C-AC259】姥ヶ懐砦跡 ※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)

【C-AC259】姥ヶ懐砦跡

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▲この左側を進む

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▲「三枝兄弟墓入口」標柱

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▲イノシシ侵入防止柵を開けて入る

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▲三枝兄弟墓所

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