久間山砦跡〔長篠古戦場〕
ひさまやまとりであと〔ながしのこせんじょう〕
(Hisamayama Fort Ruins [Historic Battlefield of Nagashino])
【B-AC004a09】探訪日:2019/4/6
愛知県新城市乗本字川添
【MAP】
〔駐車場所〕 県道69号線の左側になるなだらかな坂道から山道に入る(徒歩をお勧め)。
1572(天正元)年、徳川家康が長篠城を武田氏方から奪還する際に、北に隣接する中山砦とともに築いたとされる。中山砦の南300mの丘陵先端部で標高150m(比高80m)の位置に立地されている。
1575(天正3)年5月には、武田勝頼が長篠城攻めの際に乗本五砦の一つとして利用し、砦には、和気善兵衛,大戸直光,倉賀野秀景,原胤成,野州浪人組他300騎が構えていた。5月21日明け方に酒井忠次別動隊の奇襲が始まり、奥平貞能と戸田重光の一隊が久間山砦を攻めたが、当初は要害に阻まれて苦戦を続けた。やがて、他の砦を落した隊が増援して火を放ったため、ついに和気善兵衛は火中に投じて自ら命を絶ち、残る大戸直光らの諸将も豊田虎蔵,黒谷弥太郎,朝岡甚七,鍋田甚兵衛,堀田大之進,鳥井俄右衛門,河合十斗兵衛,鋤柄百度右衛門の追撃により討ち取られた。
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▲登り口
▲登り口
▲砦主郭
▲砦主郭
▲砦主郭
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▲付近の平坦地
▲付近の平坦地