那古野神社
なごやじんじゃ(Nagoya Shrine)
【S-AC068】探訪日:2025/2.24
愛知県名古屋市中区丸の内2丁目3-17 <📲:052-231-4030>
【MAP】
〔駐車場所〕
911(延喜11)年3月16日、醍醐天皇の勅命で八王子社や若宮八幡社の隣に牛頭天王を祭神として建立されたと伝わる。津島牛頭天王社(現在の津島神社)を総本社とする天王社のひとつであった。
1532(天文元)年、織田信秀が今川氏豊から那古野城を奪う際に合戦となり、それに巻き込まれて社殿を焼失したが、1540(天文8)年に信秀により再建された。後には別当寺である亀尾山安養寺(天王坊)も隣に建立されている。
1610(慶長15)年、徳川家康によって那古野城の地に名古屋城が築城される際、当社は名古屋城内となり、結果として二之丸大手二之門の正面となる三之丸の地に鎮座するかたちで、名古屋城の総鎮守,名古屋の氏神として祀られた。境内には別当寺として真言宗の亀尾山安養寺もあったため、当社は一般に亀尾天王社、または三之丸天王社と呼ばれるようになった。
一方、神籤の結果、隣接していた八王子社(現在の八王子神社春日神社)は現在の北区清水に移転され、若宮八幡社も現在の中区栄に移転された。
1619(元和5)年には、尾張藩初代藩主・徳川義直によって当社の西隣に東照宮(現在の名古屋東照宮)が建立された。
1620(元和6)年、義直は改めて348石の社領を認め、社殿を修造している。1629(寛永6)年には義直によって摂社・兵主社が建立された。
明治時代になると神仏分離によって祭神を牛頭天王から須佐之男命に代え、社名も須佐之男神社と改称され、安養寺は破却された。
1876(明治9)年、名古屋鎮台が城内に置かれることになると、東照宮と共に旧藩校の明倫堂跡地である現在地に移転され、摂社・兵主社は本殿に合祀された。1899(明治32)年、須佐之男神社から那古野神社へと改称する。
1945(昭和20)年3月19日の名古屋大空襲で本殿が焼失したが、1959(昭和34)年にはおおかた再建され、現在に至る。