名古屋東照宮
なごやとうしょうぐう (Nagoya Toshogu Shrine)
【S-AC067】探訪日:2025/2.24
愛知県名古屋市中区丸の内2丁目3-37 <📲:052-231-4010>
【MAP】
〔駐車場所〕
1619(元和5)年、尾張藩初代藩主・徳川義直が名古屋城三の丸に鎮座していた亀尾天王社(現在の那古野神社)の西隣に東照宮を勧請し、成瀬正成,竹腰正信を奉行にして南天坊天海を導師とし、9月17日に家康の神像を祀ったのが創祀である。同時に西隣には神宮寺である天台宗の尊寿院(権現坊)も建立された。
所在地から三之丸東照宮とも呼ばれ、創建当時の境内は3,600坪もあったという。本殿,渡殿(石の間),拝殿からなる権現造に楼門,唐門や祭文殿等も備え、東照宮としては当時最も豪華であったといわれ、社殿などには極彩色がほどこされた華麗なものであったという。
1870(明治3)年12月、神仏分離令もあって神宮寺の尊寿院が廃寺にされ、1875(明治8)年には名古屋鎮台が城内に置かれることとなり、亀尾天王社とともに旧藩校の明倫堂跡地である現在地に移築、仮遷座した。また、東照宮には徳川義直も合祀された。
1898年(明治31)年、初代名古屋市長・中村修が東照宮に徳川慶勝の合祀を請い、許可を得て奉斎する。1924(大正13)年には、義直・慶勝の御霊を旧藩士が新たに創建した尾陽神社に遷して奉斎する。
1935(昭和10)年5月13日には、義直以来の本殿をはじめ主要建造物が国宝(現在の重要文化財)に指定されたが、1945(昭和20)年5月14日の名古屋大空襲により全て焼失。1953(昭和28)年10月、建中寺より義直の正室・春姫(高原院)の御霊屋を移築して本殿とし、再興された。
本殿,唐門,透塀は愛知県の有形文化財に指定されている。