高藤城跡
たかふじじょうあと(Takafuji Castle Ruins)
【C-SZ033】探訪日:2024/4.15
静岡県静岡県掛川市本郷字中殿谷
【MAP】
〔駐車場所〕
築造年は定かではないが、室町時代に原田庄一帯を治めていた原氏の本城として築かれた。原氏は藤原南家の工藤太夫為憲の子孫といわれ、鎌倉時代に原田庄に地頭として入り、最初は原里の寺田館に住居した。のちに本郷城へと移り室町時代に高藤城を築いたという。
1494(明応3)年8月に今川氏親方の伊勢長氏(のちの北条早雲)が遠江三郡に侵攻し、高藤城が攻め落された。原氏は在地の土豪を巻き込みながらゲリラ戦を続け反抗したが、原氏に与した倉真城,美人ヶ谷城,滝ノ谷城などが制圧され、3年後の1497(明応6)年秋には原氏も没落した。その後、原六郎頼郷は今川氏に仕え、今川氏没落後には武田氏に仕えて各和城に在番したが、最後は徳川氏に攻め落され、遠江を去ったという。
高藤城は標高112m,比高80mの丘陵上に築かれ、城域は東西約300mと広く、三段の本曲輪の四方に曲輪を持ち、南側には堀切を隔てて馬出し状の曲輪があった。本曲輪の東西にそれぞれ広い曲輪があり、本曲輪と西曲輪の間には幅28m,深さ13mの大堀切があったとされる。
現在はゴルフ場(静岡よみうりカントリークラブ)の開発によって遺構は完全に消滅している。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 鎌倉時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1494年・1497年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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原氏 | **** | 伊勢長氏 | H150 | 原 頼郷 | F0** |
残念なことにゴルフ場建設で遺構は完全に消滅しており、参考にはならないが遠景の写真のみ掲載した。
高藤城縄張図(『静岡県の城跡 中世城郭縄張図集成(西部・遠江国版)』に加筆)