滝ノ谷城跡
たきのやじょうあと(Takinoya Castle Ruins)
【C-SZ124】探訪日:2024/4.15
静岡県掛川市上西郷
【MAP】
〔駐車場所〕細い道ではあるが城跡下まで車で行くことができ、駐車スペースもある。
築城年は定かではないが、応仁,文明年間(1467~87年)頃を思わせる縄張りであるとされ、築城者,城主も中山祐斎,滝氏,西郷氏(石谷氏),戸塚忠春(西郷局の父)など諸説あるが、いずれも根拠に乏しい。1494(明応3)年に今川方の伊勢長氏(のちの北条早雲)が遠江三郡に侵攻した際に、高藤城の原氏に与して反抗したが、倉真城,美人ヶ谷城などとともに制圧されたという。
南約800ⅿに美人ヶ谷城があるが、構造も異なり関係性は不明である。滝ノ谷城は標高112m,比高60mの山頂に築かれ、城域に入ると、まずは幅20ⅿほどの堀切状の鞍部に出る。その北には物見といわれる北曲輪があり、主郭は南の丘陵上に南北60ⅿほど延びる。その南端には一段下がって腰曲輪が設けられている。また、東側にも徐々に下りながら東曲輪が延び、この東曲輪と主郭で覆われた斜面には竪堀のような地形がみられる。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 室町時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1494年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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中山祐斎 | **** | 滝氏 | **** | 西郷氏(石谷氏) | F0** |
戸塚忠春 | **** | 伊勢長氏 | H150 |
縄張り図に示した🅿まで車で行くことができる。そこから2,3分登れば堀切のような鞍部に出る。その東側の傾斜,深さは圧巻である。撮影するにも少し足がすくむ。北曲輪や東曲輪から見ると、吸い込まれそうになる。主郭にはアンテナが設置されている(写真には入れていないが)。
滝ノ谷城縄張図(『静岡県の城跡 中世城郭縄張図集成(西部・遠江国版)』に加筆)