水垂城跡
みずたりじょうあと(Mizutari Castle Ruins)
【C-SZ120】探訪日:2024/4.15
静岡県掛川市初馬2137
【MAP】
〔駐車場所〕
築造年は定かではないが、室町時代にすぐ北の初馬城主・川井蔵人成信が拠る城郭とも推定されている。1494(明応3)年の今川方・伊勢長氏(のちの北条早雲)の遠江三郡侵攻を受けていると考えられる。
現在、城跡は工場建設に伴い、大きく削られ完全に消滅しているが、東西約150mほどで大小の堀切と二重堀を備えた構造であったとする。なかほどの最高部に主郭を置き、東側に広い2郭をもち、その北と西には幅3mほどの土塁があった(こちらを主郭とする見方もある)。2郭の東側、すなわち城の東端は大きな堀切形状となっていた。そして、主郭の西側にも大堀切があり3郭(開墾地)と堀切を挟んで4郭があったという。その西側は二重堀で防備していた。
前述のように、本来の城跡は消滅し現在の地形は全く異なる。そもそも比高は60mほどあったとされる。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1494年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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川井成信 | **** | 伊勢長氏(北条早雲) | H150 |
主郭と思われたところをウロウロしていると、ビニルハウスで農作業をしていた方に声を掛けられ、城跡を探していると言うと、工業(物流センター他)建設で曲輪(山)は削られ、堀切は完全に埋められしまったとのこと。さらに詳しい人がいるよ、と城山公園の手入れをされている方を紹介いただいた。南の別所地区にお住まいで小さい頃からここに住み、城跡にも土地を持っていたという方で、工場建設の様子と以前の外観を教えていただいた。先ほどの方と同じく、山だった所が大型建機で完全に削られ、変貌してしまったという。現在の城山公園も遺構の一部ではなく、その東を通る道路が堀切のように思えたが、そうではないらしい。工場のコンテナ置場の辺りが曲輪(もちろん削られ今の高さではない)で、その東に大きな谷間があったという。同日訪れた高藤城跡もゴルフ場開発で完全消滅しているが、一部でも面影(痕跡)を残してほしいものである。なお、工場建設前の航空写真から城跡を推定してみたが、いろんな情報をすべて満足するような位置を見出すことが難しかった。
水垂城縄張図(『静岡県の城跡 中世城郭縄張図集成(西部・遠江国版)』に加筆)