寺本城跡

てらもとじょうあと(Teramoto Castle Ruins)

【C-AC066】探訪日:2014/8.22

【C-AC066】寺本城跡 愛知県知多市八幡堀之内

【MAP】

〔駐車場所〕

   築城年代は定かではないが、1443(嘉吉3)年以前に花井氏によって築かれたとされる。 山頂にある津島神社は、1443(嘉吉3)年に花井信忠によって建立された。
 花井氏は守護職の土岐氏に仕え、守護代として最初は吉川城に入ったが、その後木田城へ移り、花井惣五郎の代には寺本城を本拠としていた。
 戦国時代には当初織田氏に従っていたが、織田信秀没後に今川方へ寝返り、織田信長の那古野城と水野忠分の緒川城の間の道を塞ぐかたちとなった。1554(天文23)年、緒川城への連絡を絶たれた織田信長は、今川方が緒川城攻略のために築いた村木砦を攻略するため木田城へ兵を集結させ、一気に進軍してこれを落とすことに成功した(村木砦の戦い)。村木砦を落とした織田軍は、帰路に今川方に寝返った寺本城の城下に火を放って那古野城に帰還した。その後、花井氏は降伏し再度信長の配下となった。
 1560(永禄3)年の桶狭間の戦いの際も織田側として戦った。しかし、1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いでは鳥羽城主の九鬼嘉隆によって西知多が襲われ、寺本城は落城した。花井氏は一旦信濃国に逃れたが、後にまた尾張へ帰っている。
 城は津島神社が祀られた小高い丘の上に築かれており周囲は急峻な地形で、山頂は東西に伸びた細長い削平地となっており、その北側下に曲輪をもつ。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】

【国重文】

関連時代 室町時代 戦国時代 安土桃山時代
関連年号 1443年 1554年・1560年 1600年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
花井信忠 **** 花井惣五郎 **** 織田信長 OD04
水野忠分 G611 九鬼嘉隆 F610

 

【C-AC066】寺本城跡
  

 

【C-AC066】寺本城跡

 

寺本城縄張図(『愛知県中世城館跡調査報告』に加筆)

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堀之内公会堂側からの階段を登る 津島神社へ出る 津島神社 津島神社から主郭東側を見る 北側の眺望 主郭の東端 被害側から西側(津島神社)を見る 北側下の曲輪 北側下の曲輪 北側下の曲輪 北側下の曲輪 別ルート(東南)からの登城 北側の登り口(こちらが大手とされる) 遠景(西側) 遠景(東側)