MT01:松平親氏 | 松平親氏 ― 松平乗元 | MT22:松平乗元 |
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松平乗元 | 松平乗正 |
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生年は嘉吉3年(1443年)、没年は天文3年(1534年)説もある。三河国岩津で生まれた。 |
初めは乗元の居城・細川城を拠点としたが、後に大給城に移した。 |
松平親乗 |
松平真乗 |
享禄3年(1530年)、松平清康に従軍し熊谷氏の居城・宇利城を攻め、功績をあげた。天文21年(1552年)、東条松平家の松平忠茂に居城・大給城を攻められ、忠茂と戦う。弘治元年(1555年)8月、今川義元に命じられ、織田氏の居城・蟹江城を攻める。 |
早くから徳川家康(又従兄にあたる)に仕える。永禄12年(1569年)には遠州平定戦に参加。松平清宗に代わって石川家成の指揮下に入り、掛川城の守備にあたる。ついで、遠江国榛原郡の小山城攻めで功績をあげ、榛原郡内で2000貫文の所領を得た。 |
松平家乗 |
松平清成 |
天正10年(1582年)、父が死去したため、8歳で家督を継ぐことになった。天正12年(1584年)の長久手の戦いに際しては、家乗が幼少であったために、家老の松平近正が代理として大給松平家を率いて参加した。同年の尾張蟹江城・前田城攻めでは、近正率いる大給勢が武功を立てている。 |
『寛政重修諸家譜』によれば、松平乗正の3男とされる。徳川家康に仕え、元亀3年(1572年)の三方ヶ原の戦いで首級を得る功績を挙げた。 |