MT22:松平乗元 | 松平親氏 ― 松平乗元 ― 松平乗寿 | MT23:松平乗寿 |
リンク | MT24 |
松平乗寿 | 松平乗邑 |
---|---|
慶長19年(1614年)、父の死により家督を継ぐ。同年冬からの大坂の陣に出陣して戦功を挙げた。 |
老中。肥前唐津藩第3代藩主,志摩鳥羽藩主,伊勢亀山藩主,山城淀藩主,下総佐倉藩初代藩主。 |
松平乗全 | 松平乗秩 |
幕府では寺社奉行,大坂城代を経て老中を勤めた。同列の松平忠優と歩調をあわせ、対外問題では開国・和親を、また将軍継嗣問題では紀州藩の徳川慶福を推し、海防参与の水戸藩主・徳川斉昭と対立したため、安政2年(1855年)、忠優と共に老中を免職され、閣外に放逐された。 |
三河西尾藩の第5代(最後の)藩主。大給松平家宗家10代。父は乗秩が生まれた年に死去し、兄の乗全が後を継いでいたが、文久2年(1862年)11月23日に乗全も幕府から隠居を命じられたため、兄の養子として家督を継いで第5代藩主となる。 |
松平乗承 | |
明治から昭和時代初期の政治家,華族。子爵、貴族院議員。明治6年(1973年)に家督を継ぎ、明治10年(1977年)、大給恒,佐野常民らと博愛社(日本赤十字社の前身)の設立に尽力。明治14年(1881年)に宮内省御用掛となり、明治17年(1884年)7月3日には太政官御用掛に就任、修史館勤務となる。同年12月第二局に異動となるが、明治18年(1885年)3月麻疹にかかり職を辞する。明治20年(1887年)、日本赤十字社に入り、第四回赤十字国際会議にドイツ留学中の森鴎外と出席する。明治23年(1890年)7月10日、貴族院議員となり研究会に属し、大正14年(1925年)7月まで務めた。大正2年(1913年)日本赤十字社副社長に就任し、大正7年(1918年)まで務めた。昭和4年、79歳で没した。 |