MT22:松平乗元 | 松平親氏 ― 松平乗元 ― 松平真次 | MT25:松平真次 | ● |
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松平乗次 | 松平盈乗 |
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寛永9年(1632年)3月20日、7000石の旗本である松平真次の長男として生まれる。真次は乗次が生まれるまで男子に恵まれなかったため、彼が誕生する前に養子として松平乗真を迎えていた。そのため、正保3年(1646年)に真次が死去すると、その領地と家督をめぐって両者が争った。結局は第3代将軍・徳川家光の裁定により、乗次が家督と4000石、乗真が3000石をそれぞれ相続することとなったのである。 |
正徳6年(1716年)4月11日、初代藩主・松平乗真の長男として奥殿で生まれる。しかし父は享保元年(1716年)7月5日に死去したため、生まれたばかりで9月5日に家督を継いで第2代藩主となる。このため、縁戚の畠山義寧の補佐を受けた。 |
松平乗穏 | 松平乗友 |
元文4年(1739年)3月22日、第2代藩主・松平盈乗の長男として江戸で生まれる。寛保2年(1742年)に父が死去したため、家督を継いで第3代藩主となる。しかし幼少のため、義父の太田資俊の補佐を受けた。宝暦5年(1755年)12月18日、従五位下・石見守に叙位・任官する。 |
兄の松平乗統が早世したため、安永5年(1776年)10月19日に世子になる。天明2年(1782年)11月21日、父の隠居で家督を継いで第4代藩主となり、12月18日に従五位下・兵部少輔に叙位・任官する。 |
松平乗利 | 大給乗謨 |
文化8年(1811年)3月18日、第6代藩主・松平乗羨の長男として江戸で生まれる。文政10年(1827年)、父の死去により家督を継いで第7代藩主となる。文政11年(1828年)12月に従五位下・石見守に叙位・任官する。幕命により日光祭祀奉行,大坂加番,江戸城御門番役などを歴任した。 |
江戸幕府の老中、若年寄。明治時代の政治家・伯爵。日本赤十字社の創設者の一人として知られる。 |