<神武朝>

K004:孝元天皇  孝元天皇 ― 大彦命 K007:大彦命

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膳 余磯 置目
 履中天皇3年の冬、天皇は両俣船を浮かべて遊宴をしたのだが、その折りに、酒を献じたのが余磯であった。その時天皇の盃に季節外れの桜の花が紛れ込み、天皇は訝しく思い、物部長真胆に命じて、どこから桜の花が迷い込んで来たのか調べさせた。長真胆は見事桜の木を捜し出して献上した。このことがきっかけで天皇の宮は「磐余稚桜宮」と命名され、余磯と長真胆の二人はそれぞれ稚桜部臣,稚桜部造の氏姓を得たという。

 顕宗天皇即位元年の2月、天皇は、非業の死を遂げた父の遺骨の場所を知るもの探した。老人たちを集めて一人一人に父の遺骸の埋められた場所を尋ねたが、その際に、「置目」と自称する老婆(天皇が「置目老媼」の名を与えたとも)が遺骨の場所を知っていると申し出た。置目は、狭狭城山君の祖先である倭帒宿禰の妹であった。天皇は置目の言葉通りに淡海国の来田絮の蚊屋野で、父である市辺押磐皇子の遺骨を発見した。
 天皇は置目の功績を称えて宮中に居を構えさせたが、彼女は既に足腰が弱っており、不憫に思った天皇は宮中に縄を張り、それを伝って歩くようにさせ、さらに縄に鐸を掛けて、取り次ぎの係への手間を省かせたという。
 その後、倭帒宿禰の同族である韓帒宿禰が市辺押磐皇子の暗殺に関与したとの理由で陵戸にされ、山部連の支配する山守部とされた。倭帒宿禰は置目の功績により、改めて狭狭城山君の氏姓を授けられている。
 翌年9月、置目は縄に捕まっても進むことができなくなり、故郷に帰って一生を終えたいと天皇に請願した。天皇は哀れに思い、物を授けて見送り、歌を贈ったという。