天平16(744)年4月13日、聖武天皇の紫香楽宮の大火を防いだ蒲生郡大領正八位上・佐々貴山公足人は従五位下に叙され、食封50戸などを給付されている。 五位以上の者の子孫には、蔭位の制といって祖父・父の位階に応じた位階が保証されていた。さらに律令制度では、官位相当の制といって、位階と官職が相当するという制度があった。そのため、蔭位の制によって高位を得ていた人々によって要職は独占された。このように五位に至るかどうかで待遇が大いに異なり、従五位下に叙されることはとくに叙爵といわれて、貴族の仲間入りを意味していた。佐々貴山公足人が従五位下に叙されたことの意義は大きい。