| OE17:海東忠成 | 土師身臣 ― 大枝諸上 ― 大江千古 ― 大江匡房 ― 大江広元 ― 海東忠成 ― 酒井忠明 | SK01:酒井忠明 |


| リンク | SK02・SK05・SK08・F723 |
| 酒井忠勝 | 酒井忠尚 |
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三河国額田郡井田を拠点とし、安祥城の松平氏の譜代家臣であった。 |
松平氏の家臣で三河上野城主である。通称は将監。酒井康忠の子で、酒井忠次の叔父にあたるといわれているが、関係などは諸説あって定かではない。松平広忠の時代から松平氏に仕えた重臣であり、広忠没後は松平元康(徳川家康)に仕えて重臣として松平家の文書に署名をしているが、今川義元からは元康と別の扱いにされるほどの勢力を持ち、自立性も有していた。 |
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酒井忠次 |
酒井正親 |
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大永7年(1527年)、酒井忠親の次男として三河額田郡井田城に生まれる。竹千代が今川義元への人質として駿府に赴く時、最高齢者(23歳)として同行した。弘治年間の初期頃より福谷城に住んでいる。弘治2年(1556年)、柴田勝家に2,000騎で福谷城を攻められた忠次は城外に出て戦い、激しい攻防の末、勝家を敗走させている。 |
三河国坂井郷出身。主君家康の初陣に付き従い、その働きを感嘆している。家康が人質として駿府に送られた際には、行動を共にして駿府に行っている。永禄4年(1561年)に三河西尾城を攻め、落城後に城主となった。 |
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花井忠吉 |
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| 酒井忠次の家に拾われ、養子として育った。次男吉高は徳川家に忠勤し、家康の関東入国後采地を割り振られた。 |