<神皇系氏族>天孫系

SW03:菅原道真  土師身臣 ― 菅原古人 ― 菅原道真 ― 菅原知頼 SW18:菅原知頼

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菅原知頼

 道真の曾孫・資忠の次男・良正が遁世して 美作国勝田郡香爐寺に移住し、良正の5代の孫で美作守に任じられた知頼が美作に土着して美作菅原氏の祖になったという。
  知頼から4代目で三穂太郎と号した満祐(満佐・満資)は、蛇女房の母から生まれたという出生譚を持ち、那岐(名木・奈義とも)山の頂上に腰をかけ、瀬戸内海で足を洗い、京の都まで三歩で行ったという伝説的人物である。また、満祐は名木(奈義)山に城を構え、飛仙の妖術をもほしいままにした武人として 語り伝えられ、その没後は三穂神社に祭神の一柱として祀られた。一方、播磨佐用郡において赤松久範と戦い敗れて討死したとも伝えられ、実在の人物であったろうと考えられている。満祐には多くの男子があり、それぞれ 有元(在本),廣戸,福光,植月,原田,鷹取,江見を名乗り、菅家七流と称されて作州の名門となったというのが定説である。
  とはいえ、美作菅家党の系図は諸本あり、満祐を知頼4代の孫・仲頼の子とするもの、曾孫とするものがある。 いずれの系図が真を伝えたものか、にわかに断じることはできないが、満祐の子・豊前守佐友が廣戸氏の祖になったことは諸系図一致している。勝田郡広戸邑に住して廣戸を称した佐友は、奈義山より尾根続きの峰に矢櫃城を築いて本拠を固めたというが、その事績に関しては不明というしかない。