KI02:紀 角 | 紀 角 ― 紀 大人 | KI03:紀 大人 |
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紀 大人 | 紀 諸人 |
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天智天皇10年(671年)1月5日に、大友皇子が太政大臣に、蘇我赤兄が左大臣に、中臣金が右大臣に、蘇我果安,巨勢人,紀大人が御史大夫に任命された。 |
慶雲4年(707年)従六位上から従五位下に叙せられる。内蔵頭在任中の和銅2年(709年)3月、陸奥国,越後国両国の蝦夷を征討するために征越後蝦夷副将軍に任ぜられる。同年8月征討を完了して征蝦夷将軍・佐伯石湯と共に帰朝、元明天皇に招かれて特別に恩寵を与えられた。同年10月志貴皇子の妃となっていた娘の橡姫が白壁王を生んでいる。 |
紀 清人 | 紀 飯麻呂 |
和銅7年(714年)従六位上の時、三宅藤麻呂と共に国史撰修の詔勅を受ける。当時編纂されていた『日本書紀』に関連した人事とも考えられるが不詳。翌和銅8年(715年)三階の昇叙により従五位下に叙爵。 |
神亀6年(729年)3月、長屋王の変(同年2月)後の叙位にて正六位上から外従五位下に叙せられる。この時の叙位では変で活躍したと考えられる藤原武智麻呂,石川石足,多治比県守,藤原麻呂らが昇進していることから、飯麻呂も反長屋王派に属していたことが窺われる。同年8月従五位下、天平5年(733年)従五位上。 |
紀 木津魚 | 紀 百継 |
宝亀年間(770~-780年)に山部王(のち桓武天皇)の病気平癒を祈願して、紀勝長らと共に四天王像を造る。 |
桓武朝では、右衛士少尉,近衛将監と武官を歴任し、延暦20年(801年)従五位下に叙せられた。平城朝に入っても近衛将監から左/右衛士佐と武官を務める傍ら、越後介,上野権介,越前介と地方官を兼ねた。 |
紀 最弟 | |
弘仁11年(820年)内膳典膳に任ぜられる。承和年間の前半以降は左衛門少/大尉と武官を務め、承和12年(845年)従五位下に叙爵し、翌承和13年(846年)右兵衛佐に任ぜられる。 |